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文壇では通説だった太宰治の芥川賞懇願の手紙。 今回、実物が見つかりました。 あて先は、もちろん師匠の佐藤春夫です。 昭和10年、菊池寛によって創設された芥川賞と直木賞。 新人作家に与えられる文学賞です。 なんの実績もないのに、これが大きな反響を呼びました。 文壇の大御所と言われた菊池寛が作ったものですから、受賞すれば作家として自立できる、と見られたのは当然でしょう。 昭和10年ころは、文壇の垣というものがありました。 新人が垣の内側に入るには、狭き門を通らなければなりません。 その方法は、 1、先輩作家に師事し、認められる。 2、文芸誌の編集長に認められ、原稿の依頼を受ける。 3、懸賞小説に応募し、当選する。 まあ、こんなものでしょうか。 そして、いい作品を書き続けることが必須、なのは言うまでもありません。 大御所、菊池寛に認められれば、文芸春秋という雑誌もあり、デビューは磐石です。 太宰治に限らず、新人作家たちには垂涎の賞でした。 太宰はその心情を隠そうとしませんでした。 私生活が行き詰まっていたので、必死だったのでしょう。 薬物中毒にかかっていたのも、この頃でしょうか。 経済的に困窮していた時期でした。 賞金の500円も欲しかったはずです。 受賞叶わずとなって、落胆も大きかったようです。 川端康成に「作者の生活に目下いやな雲ありて」と言われると、猛然と反駁しています。 2回目の芥川賞でも、懇願の手紙を送っています。 しかし、受賞はなりませんでした。 ちなみに第1回の芥川賞は、石川達三「蒼氓」でした。 私も昔、読みましたね。 ブラジル移民の話で、社会性のある骨太な作品でした。 2回目は該当作なし。 3回目以降は、たぶん太宰は候補にも挙がらなかったのではないでしょうか。 芥川賞とは縁がなかった太宰治。 その悔しさがバネになって、太宰は作家として成長した、というのが通説です。 今年、芸人の又吉直樹が受賞して、社会的関心を呼んだ芥川賞。 その又吉は太宰のファンだった、というので、太宰治にもスポットが当たりました。 不思議な因縁です。 芥川賞とは縁がなかったもう一人の作家は三島由紀夫。 太宰と三島の関係について、機会があったら書いてみます。
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最終更新日
2015年09月08日 13時49分38秒
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