聖戦Dolls
5 The Inside City の一歩前「なぁ風巳、裏都市行かねぇ?」僕の目の前には、エプロン姿のジュリ。あまりに突然のことで、二~三秒ぼ~っとしてしまった。聞かれたことと、ジュリが目の前にいたことに。彼女のエプロン姿は異質であって、でもしっくりしていた。…料理のためのエプロンというより、解剖のための白衣と言う感じに。初夏の暑さのこの頃である。今日は土曜日。本でも読もうかとのんびり過ごしていたら、マリアと一緒に料理でもしていたのだろう、楽しそうな声が聞こえてきて。あぁ、そういえばこの家って男、僕だけなんだとか再確認して。でもジュリは今、目の前。仁王立ち。僕がいる椅子のところにすぐに来たことや、なにやら漂っているコゲくさい香りを考えると……料理は食べれるようなモノではなかったらしい。(まぁ、ジュリが作ればこうでもなるかな……。)目線を明後日の方へ泳がせながら、僕はそう思った。…僕が食べずにすんだことが、ある意味奇跡なのかもしれない。「なぁ行こーぜ、風巳!まだ行ったことないだろ?」「えっと、裏… 都市ですか? それって言うのは―――――――「“処刑場“の周辺地域、逃げたDollの住む場所さ。」その言葉は空気のフレーバーを変えてしまった。ニコチン・タール・メンソールの様なフレーバー。副流煙になって緩やかな死へ、手招いて僕の胸を犯していく。覗き込む人形の碧眼。僕の知らない世界の住人。この前ふっと気付いた、あの目をしている。ジュリがいつもは隠している目。見下ろす瞳は… シジマ。無言。静寂。黙。眼は、ささめき戸惑う僕へ差し伸べられた手だった。人 形 ルリガキカザミ への 人 形 ジュリエット からの ご招待裏都市への。いや… 本当はまだ、行きたくないのだ。知らない所には。だけど、断りにくい…。そう。いつかは、行かなきゃいけない。僕は人間じゃないんだから。分かってはいるつもり。揺れる心に引きずられるように、僕は視線を足元へ投げ出す。そして思うんだ。知らないままでは、きっといられなくなる。ただ、飛び込むのが怖いだけだと。このままの自分じゃなくなってしまうような気がして、でも変わらなきゃいけなくって。矛盾の中に僕はいる。居心地がいい落ち着いた空間から出たく無い。椅子が僕に場所を与え、本が僕の世界になって、活字が時間を狂わせる。絡み付いて僕を止める色あせたシジマ達の中でなんてシナリオを書き出すことは出来ない。そんな時、ふと脳裏に浮かんだのは机に開いて置いた読みかけの本。僕の人生において、その価値観を作り上げているランダムに選出された今日の一冊。それは歪みきれなかった時間を刻んだ、色あせたボロボロの緋色。ジュリの髪のような金で表紙の題名は綴られている、それもシジマの一人。嗚呼、そのページにも綴ってあったじゃないか。 Panta rhei パンタ・レイ 万物は流転する、と。握り締めた手のひら。決死の言葉を紡ぐために吸った酸素は、何だか得体の知れない味がした。犯すならば最期までそうすればいい。緩やかに蝕まれていけばいい。言うならば『Schwanengesand』。最初であり、そして最期でもある僕の『白鳥の歌』を・さぁ、啼こう。僕はジュリを見上げた。喉を仰け反らせて仰ぎ見る、人間カザミの『白鳥の歌』。「……行きますか?」飲み込んだ酸素は無言、又の名をシジマ。「よーし!!決まりだなっ。昼飯食ったら行こうな!」ニカッという笑顔。それに続いて気持ちのいい痛覚が脳へと駆け込んできた。パーンと肩を叩かれたらしい。僕にしては神妙な面持ちで言ったはずなのに… ジュリといえばまるで気づいてくれない。はしゃいで部屋から駆け出してってしまった。唯、にっこりと笑うまでジュリの目は、あの目のまま。…やっと、元に戻ってくれた。ああ、ジュリは元気だなぁー… なんて遠い目で見ていると、マリアが心配そうな顔をして部屋の入り口に立っていた。「…風巳さん、大丈夫ですか?」覗き込む、人間の瞳。マリアは勘が良い。少なからずそうだと僕は思う。察するのがうまいのだろうか? 僕が少し不安なのも気がついてくれたらしい。でも、気づかれないのも嫌だけど気づかれるのも嫌。心細くもあるし、照れくさくもある。 …なんて僕は天邪鬼なんだろう。「大丈夫ですよ、多分ですけど。」そういって僕は席を立った。机を片しながら答えると、マリアは少し微笑んで「多分のニュアンスの方、強調してません? …図星でしょ?」まさしく図星で、驚いた顔の僕を見て彼女はまた優しく微笑んだ。…マリアには隠し事はできない。もしくは僕が隠すのが下手なのか?ちょっとした男としての見得も簡単にばれてしまう…。そして『分かりやすいんだから』と言う言葉が、薄く開いた唇から聞こえた気がした。隠し事は出来ない。これは僕の中での絶対条件であって、反抗することもなく僕に浸透していた。人間、所詮、細胞だ。どんどん染み込んで消えてなくなるか、搾り取られて消えてなくなるか。嗚呼、僕らは原型に忠実。「確かに不安ですけど、僕もDollだから逃げてばかりはいられないし。ジュリが引っ張ってくれるから、行ってみます。」「私も一緒なのでよろしく、風巳さん。 今日はDollが沢山集まる場所に行くんですよ!」平静を装うのは得意だったはずだったのに。僕はホントウとは違う言葉で会話を締めくくっていた。彼女の仕草なんて覚えていられない。いや、見ていられなかったのが事実だ。視線を逸らすために見た時計は、投げやりに数字の12の近くを指差している。『あなろぐ』の曖昧さもこの時ばかりは嬉しい。ああ、おなかすいたな。腹の虫は鳴かない。本当はまだ15分も先なのだ。デジタル時計の数字が12になるのは。『止めて欲しいんでしょう?』恐る恐る視線を合わせた。それだけで感情が僕に流れ込んでくる。ただ、はにかんでいるだけの丸い瞳がなぜか僕には挑戦的だった。Dollそれは仲間。同士。同じ機械。…みんながいるならまぁ、大丈夫かな?だって僕は人間の世界に収まってちゃいけない。 …また僕の周りの人が殺されるかもしれないから。でも一人ぼっちになる強さなんか持ち合わせてはいなくて、僕は彼女を頼ってる。…だけど、もし裏都市が危ない場所ならば、僕は彼女を守れるようになりたい。今は頼ってるけれど、いつかは頼ってもらえるくらいに…ずっと微笑んでいてもらいたい、そう今みたいに。(何でもいい、誰でもいい。セメントをただペタペタと)失ってから、僕は守るという事を知った。(塗り固めて哀しみを。崩れる崩れる崩れる崩れる崩れる崩れる―――――――)そういう感情を知った。(きっと全てはボクのため)「あ、マリアさん、お昼ご飯つくらないと。僕も手伝いますよ。ジュリにやらすと危ないんで。」「ダ~レが危ないって!」振り返るとよく通る澄んだ声。目に馴染んだシルエット。少し、恐怖を覚えるような感覚と共に背後に現れたのはジュリである。「わぁー!?ジュリっ!?」「風巳!ウチだって料理ぐらい出来るんだから!」だったら、さっきのコゲた臭いは一体何だったのだろうか…?幻? そんな生易しい臭いじゃなかったぞ。「さっき、コゲてましたよね?ジュリ?」「マ、マリア!?」「ほら、やっぱコゲてたんじゃないですか!」「だってだってさぁ…」聞いちゃいけない… 聞いちゃいけない、なんて思っていたらマリアが聞いてくれた。やっぱり焦がしたんじゃないか…。そして、もうひとつのやっぱり。(『カザミさん、聞きたそうだなぁ』って、マリアの流し目がいっていたんだ。)結局、お昼は「ウチが作る!」と言ってきかないジュリを適当に落ち着かせて、3人で作ることにした。…絶対に僕のほうが上手い。家庭科は得意科目にはいるんだから。袖をまくって、水に手を晒す。絡みつく水と遊んで、指先が凍てつく感覚を楽しみながら。さ ぁ 、 は じ め よ う か 。考察:ジュリエットは間違いなく人形だ。マリアは僕よりもシジマを多く飼っている。