yuuko 3
ユウコがテツヤに出会ったのは、彼と別れてすぐ、半年ほど前のことだった。病院の帰り、突然の雨に、雨宿りに入った旅行社の軒先で、カナダの風景を撮った大きなポスターに見とれていると、隣に立っていた男に話しかけられた。「綺麗ですね」突然のことに、驚きながらも、その魅力的な声に、ユウコは一瞬で心を捉えられていた。思わずその男の顔を見上げる。「カナダですね、行ったことありますか?」背の高い、若い男。二枚目とはいえないが、大きな目と口に十分な魅力と愛嬌を兼ね備えている。ユウコはぼんやりとその顔を眺める。そして、返事をしていなかったことに気付き、慌てて首を振る。「いえ、海外は。」「そうですか。僕もないんです。行ってみたいですよ、ほんと。」と彼は、人懐っこく微笑む。「でもね、海外どころか宇宙に行った気分になれる方法がありますよ」と、差し出したのは、黄色い紙に黒い大きなゴシック字で印刷された小さなビラだった。見ると彼は、反対の手にもたくさん持っている。どうやら、ビラ配りをしていたらしい。ユウコは手渡されたそれを反射的に眺める。「僕、芝居してるんです。今回の芝居は、ずばり宇宙が舞台です。僕が宇宙船に乗って、宇宙を飛び回ります。どうです?見たくなったでしょう?」ユウコはその言い方に、ふっと頬を緩めた。「あなたも出るんですか?」そう、彼がどんな演技をするのか見てみたくなったのだ。「もちろん、僕が初めて主演させてもらうんです。ね、これが僕の名前です」と、ゴシックを指差す。そこには、『主演・テツヤ』と書かれていた。「テツヤ、さん?」「はい、そうです。まあ、主演っていっても、本番直前までビラをまくような主演ですけど」と屈託なく笑った。芝居が跳ねても、ユウコは、イスから立ち上がらずに、待った。誰かを、ではなく、人が減るのを、である。混み合う人の群れに入ると、動悸やめまいがするからだ。200人も入ればいっぱいの小さなホールは、それに見合って、出入り口も狭く、ようやく、人が引いたのは、しばらくたってからのことだった。客の姿はまばらになり、さっきまで舞台にたっていた劇団員が掃除を始めた会場を見回し、席を立ったときに、後ろから声がかかった。「見に来てくれたんだ」それは、テツヤだった。ユウコは微笑んで、「ええ。ほんとに見たくなったんで」「ありがとう」「いえ、こちらこそ。とても、楽しかったです」ユウコの素直な気持ちだった。普段芝居を見慣れないユウコには、難解なストーリーだったが、どこまでも若さに満ちた作品で、楽しみ、そして元気になることができた気がしたのだ。「そうですか?だったら、僕も嬉しいです。ありがとうございます。」頭を下げて、ユウコが帰ろうとすると、「あ、あの、ちょっと」と、再度、声がかかった。「できたら、ちょっとどこかでお話できませんか?」と小さな声で言ってから、さらに声をひそめて、「お客さんをナンパしたなんて知られたら、役降ろされちゃうかもしれないですけど」というそばから、「おい、テツヤ!」と小さいが怖い声で呼ばれ、縮みあがるテツヤ。しかしすぐに、「ナンパは禁止ですよ~」と、ふざけた感じの声に変わり、ほっとした様子で振り向く。「水野かよ、焦らすなよ」「だってさ、、どうも、」と、テツヤに話しかけながら、ユウコにもにこっと挨拶をし、水野と呼ばれた青年は、「お客さんのナンパはだめだって!」「違うよ、芝居の感想を聞いてただけだよ。」ユウコに目配せするテツヤ。「で、ちょっと話し足りないから、どっかで、待ち合わせでも、、って、ねえ?」ユウコがあいまいにうなずくのをみて、「そういうの、ナンパっていうんだよ」「違うって。じゃあ、あの、駅前のとこで待っててくれますか?あっと、さっきのポスターの前で、30分後に。」終電なくなっちゃうな、と思いながらも、ユウコは、テツヤの声に惹かれ、うなずいていた。←1日1クリックいただけると嬉しいです。