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カテゴリ:学校
安倍内閣の支持率70%(讀賣新聞世論調査)ですか……。
小泉内閣支持率87%のときもたいがい驚きましたが、どうもわたしは日本人の中の少数派であるようです。支持も期待もなく、ただただ不安だけがありますもん。 教員免許更新制は、さしたる効果もないのに教員の負担を増やすだけ(わたしたちが望んでいるのは、すべての教員にしっかりした指導力を持ってもらうことでしょう。新卒の、間違いなく教員免許を取り立ての教師たち、みんなしっかりした指導力持ってますか? ありえない……)。 地域・保護者による外部評価は、まあ、やってもいいでしょう。既に全校で外部評価が実施されている大学・短大が、それによってどれほど良くなったのかは大いに疑問ですが。 そして教育バウチャー制。実施されれば、公立小中学校にも、高校と同じような序列化が進んでいくでしょう。教育基本法の改正とセットで行われれば、(国が保証する教育水準は、“児童の能力に応じたもの”になるのですから)底辺校の授業がどうなるかは想像に難くありません。まともな学力をつけさせたければ、たとえ自宅から遠くても、電車通学させてでも人気校に通わせなければなりません。小学校から。 それは現実に合わせた、効率的な対応だという考え方もあるでしょう。 わたしは、公立小学校がこれまで理想としていたことを追い求めていってほしいと願っていますけれど。 今日は月に2回のクラブ活動の日。定刻に学校に行けば、低学年の子どもたちが掃除する中、高学年の部員たちはPCルームに顔をそろえています(昼休みをわずかながら短縮して、通常なら45分のところ、1時間ちょうどの授業時間を確保しています)。 これまでタイピングの練習や絵葉書作り、お絵描きなどやってきました。スキルアップだけ考えるなら、もっともっとタイピング練習して、ワープロを使いこなせるように指導したいところだけれど、クラブ活動はそれを目標にしているわけではなく。 PCを使って何ができるのか、さまざまな可能性をちょびっとずつ体験してもらえたらそれでいいと思っています。 で、今日はチャットをやってみました。「ゲーム」「動画配信」「運動会」「学校への不満」なんて部屋を作って、好きな部屋で好きなようにチャットをします。 わたしは全部の部屋で質問を投げかけたり、煽ってみたり。 ハンドル使用可とはいえ、誰がどんな発言をしているかは丸分かり。 なのに……。 個人への誹謗中傷は出るわ、嫌いな先生の批判飛びだすわ、もう目も当てられません。 去年はこうならなかったんだけど、今年は、かなりネット経験豊富な子が何人かいるのが、かえってこうした状況を生んでいるように感じられました。 きみたち。 ネットは、とても素晴らしいコミュニケーションの道具なんだよ。 それを活用して、他で得られない情報を得たり、考えを深めたりすることができるかどうかは、きみたちのネットでの振る舞いにかかっているんだ。 自分で自分の首を絞めるようなことをする大人にならないよう願っているからね。 などなど、ネチケットの基本を含めてついつい説教モードになってしまうかいちょーでした。 ************** 「美しい国へ」ひとり読書会の5回目です。 (はじめての方は9月18日の日記の注意書きを読んでください)。 ★日米同盟の構図 ●なぜ日米同盟が必要なのか 「自国の安全のための最大限の自助努力、「自分の国は自分で守る」という気概が必要なのはいうまでもないが、核抑止力や極東地域の安定を考えるなら、米国との同盟は不可欠であり、米国の国際社会への影響力、経済力、そして最強の軍事力を考慮すれば、日米同盟はベストの選択なのである。」 ●“行使できない権利”集団自衛権 「現在の政府の憲法解釈では、米軍は集団的自衛権を行使して日本を防衛するが、日本は集団的自衛権を行使することはできない。 このことが何を意味するかというと、たとえば、日本の周辺国有事のさいに出動した米軍の兵士が、公海上で遭難し、自衛隊がかれらの救助にあたっているとき、敵から攻撃を受けたら、自衛隊はその場から立ち去らなければならないのである。たとえその米兵が邦人救助の任務にあたっていたとしても、である。」 *かなりのページを割いてアメリカの歴史や民主主義についてのお勉強があって(ダークな面は完璧に無視ですが)、日米安保がらみのお話。 アメリカに押し付けられたもの、アメリカの理想を表現した憲法はダメだと匂わせておきながら、日本とアメリカは価値観を共有しており、どう考えても日米同盟を堅持するしかないというあたりが、なんとなく分裂的な印象です。 で、集団的自衛権を行使できないことの不利益として、こういう例を出すかねぇ。だいたい、憲法解釈でたいがいのことはできてきたんでしょうに。上の例みたいな状況なら、それこそ憲法解釈で簡単に切り抜けられるはず。 高い理想を掲げてみたものの、現実論に押されて、憲法解釈で現実論をカタチにしてきたんでしょう。 「やっぱこれ理想主義すぎるわ。こんな絵空事やめて、現実路線で行こうよ」ってのはかなりの賛同を得るんだろうけれど、わたしはいつだって理想を頭の隅に置いておくべきだと思ってる。そう思ってる人もけっこういるよ。そういう人の願いを無視しなくたって、今のままだって、かなりのことができるんじゃん。 それをなんとしても憲法改正に持っていこうってからには、憲法解釈ではとても切り抜けられないことをやりたいから、と勘繰られても仕方ないんじゃないのかな。 たとえば集団的自衛権を行使できるようになれば、アメリカが攻撃を受けさえすれば、日本は大手をふって反撃に参加できるわけでしょ? 今だってイスラム原理主義の人たちは対米戦争を仕掛けているわけで(ブッシュさんは対テロの行動を明確に「戦争」と呼んでるよね)。日本はいつだってイスラム主義を殲滅しに出兵できるんだよ(まあ、「できる」のと「する」の間にも、憲法の理想と解釈による現実の落差ぐらいの差があるだろうけどさ)。 ●お金の援助だけでは世界に評価されない 「しかし、湾岸戦争が終わって、クウェート政府が「ワシントンポスト」紙に掲載した「アメリカと世界の国々ありがとう」と題した感謝の全面広告のなかには、残念ながら日本の名前はなかった。 このとき日本は、国際社会では、人的貢献抜きにしては、とても評価などされないのだ、という現実を思い知ったのである。」 *いやそれは単純に日本政府が広報に失敗した、ただそれだけでしょうに。 お金くれたら嬉しいよ。お金ないと何にもできないもん。戦争だってお金がないとできやしない。 そりゃ人的貢献は絵になりやすいかもしれないけれど、人的貢献抜きじゃまったく評価されないなんてのは、悪質なデマの類だと思うんですがいかがなもんでしょう。 とかなんとか言いながら、わたしは日本のPKO参加を支持するし、行くからには自衛隊だと思うし、自衛のためにはかなりのフリーハンドが与えられるべきだと思ってるけどさ。 それは憲法の理念に反することなの? んー、反するっていう人も多いんだろうなぁ。 (残り3分の1まで来ました……) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年09月28日 07時17分37秒
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