スペードのA:見廻組暗殺説(その53:結論)
ここまで52回に渡り「見廻組暗殺説」の検証を行ってきました。そろそろ、私なりの結論をここで述べたいと思います。 私は、暗殺の実行者としては、やはり「見廻組」が犯人であると考えています。 不正確ではありますが今井の自白、渡辺の死の直前での自白、書生の存在、そして新選組の証言などを考えても今のところ「見廻組暗殺説」を超える物はないと考えています。 ただ、見廻組の実績はどうでしょう?新選組は20件ほどの斬り合い事件が記録されているのに対して見廻組はこの龍馬暗殺事件以外は全くそのような記録はありません・・・。 ただ、このように考えることもできます。 まず、見廻組に記録はなくても、与頭佐々木只三郎には清河八郎の暗殺経験があります。と、いうか逆に佐々木の配下でないと「暗殺」というような大事業を行えることは見廻組ではできなかったのではないでしょうか・・・。 坂本龍馬は慶応2年1月21日に薩長同盟を成立させたあと、同年1月23日に寺田屋で伏見奉行書配下の者に襲われ、追ってを射殺したために刑事犯として追われる身となっています。 さて、見廻組も慶応3年にはいると京都の情勢から今までのような穏和な路線からの脱却を謀っていたようで、同慶応3年2月には「御雇」として渡辺一郎(篤)を、5月には見廻組隊士として今井信郎がその任を拝命しています。 渡辺も今井もその経歴を見る限りかなりの剣術の腕ですので、腕の立つ者を加えて組織の強化を図ったのではないかと思います。 ・・とすれば、龍馬暗殺を引き受けても不思議ではないかと・・・ただ、検証するにはあまりにも「見廻組」に対する記録が少なすぎるのです・・・。 でも、直接見廻組が残した記録がなくても、他の資料から見て(過去の52回の検証から見て)実行犯は見廻り組だと思います。 ただ・・・・・・・・・・・・・・・・、 今井も渡辺も共通していっていることは、龍馬「暗殺」が正当な幕府からの命によることであったというものです。 この部分は、やはり疑う必要があるのではないでしょうか? 龍馬暗殺の実行犯が見廻組であったとして、「やれやれ・・・これで全てが終わった・・・。」とはいかないようです・・・・・・・・・・・。 そう、これから検証しなければならないのは、「黒幕」の存在です。