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カテゴリ:歴史
覇王の家
およそこの人、司馬遼太郎ほど、一字一句頭の中にすらすら入る小説家はいない。読みやすい上に、おこがましいが、自分の感性とぴったりあっている。そして安心して楽しく読める。もっとも、中世の戦国時代、幕末という、二つの時代の小説に関しては、一兵そくに至るとは言わないが、殆どの武将、獅子のエピソードを知っていて、なおかつ血湧き肉踊るって感じだ。 さて、今読み返しているのは覇王の家。家康というより、三河武士の生き様を捉えた秀逸な本だ。日本のグローバル化が遅れた原因は、この家康の中世思想に由来すると言われている。しかし、それは現在の日本の、他の国にはない独特の文化を築いた功績でもある。信長であればどう変わっていただろうかと考える。彼なら早きからグローバル化がはかられるとは思うが、先の太平洋戦争のように、最初は勢いがあっても、国力という点で当時の中国、ヨーロッパ諸国に対抗できず、植民地化されたかもしれない。秀吉の朝鮮出兵失敗がいい例だ。 家康の凄さは、自分の妻、子供を殺してまでも、三河武士の長である自分の立場を押し通したということだ。当時は武田武士団にしても徳川家にしても、信長の家臣と違う所は、当時の筆頭家老である酒井忠次との微妙な立場に代表されるように家康自身、豪族の棟梁のようなもので、その結束は常に不安定で、同盟者の意見の方が、じぶんの身内より上なのはやむを得ない。忠次が信長の会見の時、温情より、三河武士団の存続を考えたのは無理からぬことだろう。 我慢の人と言われる家康、その胸中はいかばかりか・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.06.03 11:46:34
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