なんでも過剰
大阪へ突発的に旅行に行きました。ADHD特有の無計画さで地元大阪のお友達を振り回して。自分で集めた情報を色々見比べつつ、いま自分がどうしたいのかをよく整理しないままアーでもないコーでもないを繰り広げていまして、お友達には本当に感謝やら陳謝やらです。この旅行もそうですが、プラモ作り、日々の部屋の片付け、友達へのお付き合い、仕事の進行…どれをとっても「抜きどころ/入れどころ」がよく分からないままで結局過剰なエネルギーを物事に投入している事が実に多いです。それでいてそのエネルギーがキチンとまとまって物事が仕上がっていればよいのですが、そのほとんどはやり散らかしで完結に至りません。情熱的だったり破壊的だったりしているように見える前衛芸術(古い言葉ね)でさえも、それらの「抜きどころ/入れどころ」をわきまえた、計算された組み立て方をされているわけなので、ADHDがさも『奔放で予期せぬアイディアを生み出す天才』のように思われるのは本質を見落としているような気がするのです。私はいつも「なんか思いつくのだけどまとまらない!」ということを感じています。「誰か抜きどころ/入れどころを教えてくれ!」とは常日頃叫んでいる部分でもあります。パートナー探しとか友達探し等と言ってられない状況ですね。