横浜トリエンナーレに行ってきた
視覚に障碍のあるお友達の希望で、横浜トリエンナーレに行ってきました。普段何気なく展覧会やら映画やらに出かけていますが、このお友達とともに世間を見直してみると、世間がいかに健常者中心で廻っているかが分かってきます。トリエンナーレ会場は車椅子やシャトルバス、音声ガイドなどを用意して、様々な立場の人に対応していましたし、係員の方々もこぞって解説をして多くの人が楽しめるようにしていました。 現代アートに関わる人たちは社会意識の高い方が多いようなので この辺の配慮は、例えばこの友達と同じく出かけたロックイベント「サマーソ○ック05」とは比べ物にならないキメの細かさでしたが、、、障碍があるゆえにどうしても『敷居の高さ』が発生してしまうのです。・車椅子では見れない/体験できない作品(高低があったり狭すぎたり)・暗すぎたり、覗き込む仕掛けがあったりで、弱視の人にはわかりにくい作品・今回は平気でしたが、音が肝心な作品だったら聴覚障碍の人は参加できないでしょう。(そういう作品はあった)現代アートも色々な表現手段を獲得して、様々な切り口を示していますが、「誰のために、何のために作っているのか」を問いかけてみると、障碍のある方々まで勘定に入っているものは大変に少ないような状況と思えてならないのです。無論アーチストは神ではないので「万民が楽しむ作品」など、どんな巨匠でも出来るものではありませんが、より多くの人が楽しめる、むしろ障碍を持った方々が大いに楽しめる物がもっとあってもいいと思うのです。ためしに一日暗闇の中で生活をしてみてください。目が不自由になると、ものすごく使いにくい道具や電化製品などがどれだけあるかお分かりいただけると思います。「目が悪くても音楽が聴けるから楽しみはあるじゃないか」と思ってみても、その音楽を識別するためにはやはり視覚の情報に頼っているのが実情なのです。私も電化製品などで、障碍のある方でも使い易いものがないかをついでに探してみたりしていますが、ホントにそこまで配慮した製品は皆無です。メーカーの方々はこの際猛省していただきたいです。~なんかお題からそれてしまいました。