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カテゴリ:人生・よのなか
聞き手 こんにちは。 郡山ハルジ こんにちは。 聞き手 無事カナダに帰られたようで。 郡山 はい。結局、当初の帰国予定日の翌日に、成田→サンフランシスコ→シャーロット(ノースキャロライナ)→バッファロー(ニューヨーク)という非常に非効率な乗り換えでアメリカに降り、そこから自家用車で2時間掛けてカナダの自宅まで帰ってきました。 聞き手 とんだ災難でしたね。ESTA(注.米国電子渡航認証システム)って乗り継ぎでアメリカに入国する場合でも適用されるんですね。 郡山 アメリカに旅行する日本人であれば常識であるESTAを知らずにいたとは不覚でした。ESTAが始まってから過去2年の間にアメリカに何度も入国していたのに、いずれの場合も一旦陸路で入国していたので、ESTAを要求されたことがなかったんですよね。 聞き手 ESTAを要求されても、過去に入国拒否された経験さえ無ければすぐに許可が下りたんですよね。 郡山 はい。入国審査のような状況であれば、どういう経緯で入国拒否された経験があるのかを審査官に直接説明できるから毎回問題ないんですが、インターネットで申請する場合には相手が居ないので説明も出来ない。結局、質問項目に「Yes」があるというだけで、申請を一度ハネられてしまわざるを得ないみたいです。 聞き手 ESTAは一度申請すれば2年間有効だそうですし、もともと渡航する数日前に申請しておけば、入国拒否のような過去があっても今回のような問題は回避できるようですから、まあ今回ばかりは仕方ないと諦めるほかありませんね。 郡山 はい。航空会社の係員も比較的協力的だったし、1日遅れくらいで済んで幸運だったと考えるべきなのかも知れません。 【ボランティア活動から学んだこと】 聞き手 ところで、今回は震災ボランティアに関してお伺いするのですが、まず最初に、今回のボランティア活動から学んだことを教えてください。 郡山 そうですね、学んだことはいろいろありますが、一番の収穫は、ボランティアをすると心が豊かになるということでしょうか。 聞き手 2~3年前のブログ記事に『幸せになる方法』というのがあって、たしかそれに挙げられていた項目の中に「ボランティア活動などの慈善行為をする」というのがありませんでしたっけ。 郡山 ありました。ポジティブ心理学が提唱する「幸福度向上のために日常的に行うとよい行為」というのがあって、「感謝日記をつける」「感謝したい人にその気持ちを伝える」とか、「自分が前からやりたかったことをやる」「ヨガや瞑想をする」といった項目はよく分かるのですが、慈善行為が人を幸せにするというのは正直なところピンと来ませんでした。 聞き手 それが、今回の震災ボランティアで納得できたわけですか。 郡山 はい。震災ボランティアというのは、典型的な「3K」仕事です。津波が染み込んで重たくなった畳や家具を運んだり、悪臭を放つ汚泥を床下から掻き出したり、ガラスの破片や錆びたクギがあちこちに転がっている瓦礫の中で作業をしたり、普通ならお金をもらってでもやりたくない仕事じゃないですか。 聞き手 はい。震災ボランティアでは、そんな3K仕事を無償でやるわけですよね。 郡山 そうです。筋肉痛になったり、あちこちに引っ掻き傷を作ったり、体中が泥まみれになるような仕事を、タダでやるんですよ。 【労働の本質とは】 聞き手 どうしてそんなことが可能になるんでしょうか、ボランティアだと。 郡山 目の前に困っている人がいるからですよ。一人暮らしの爺さん婆さんだとか、男手を失った女性とか、被災した自宅に何とかして避難所から戻りたいけどその作業のための人手や資金がない人が目の前に居る。自分たちがやる作業のおかげで、そういう人たちが被災前の日常生活に一歩近づくことができ、本当に感謝される。 聞き手 有償でそんな労働をする場合には、依頼者からの感謝なんて期待しませんもんね。 郡山 そうなんです。ホントに困ってる人にホントに感謝されると、そんな3K仕事でも無償で出来てしまうんです。 聞き手 何のためにやるのか、誰から感謝されるかも分からないような仕事だと、お金をもらわないとやる気がしませんよね。 郡山 はい。もともと労働の本質って、誰かのために何かをしてあげることじゃないですか。その労働が、おカネが介在することによって「カネのためにやりたくもないことを仕方なくやる」といった意識になり、卑屈な感情が伴ってしまう。しかし、こんな仕事を一度タダでやると、「誰かのためになっている」というだけで報酬が無くとも十分な満足感が得られる。 【「報酬はオマケ」という精神的裕福さを学ぶ】 聞き手 なるほど、「お金」より「やりがい」が重要ということですね。 郡山 そうですね。別に、ありがとうと言ってくれる人が目の前に居なくともいいんです。津波を被って干からびた田畑に流れ込むはずの水を妨害している農業用水路の瓦礫と汚泥を取り除く。悪臭を放つ汚泥にまみれながら10数人がかりで瓦礫と汚泥を素手やスコップで掻き出し、ようやく水が流れるようになる。日常のサラリーマン仕事ではなかなか味わえない達成感があります。 聞き手 プロがお金をもらって嫌々やるよりも、ボランティアが無償でやるほうが丁寧な仕事になったりしそうですね(笑)。 郡山 それは本当です。カビ臭い床下に這って潜り込んで汚泥を掻き出している青年ボランティアの姿を見て、「プロでもそこまではしないだろう」と本当に思いました。 聞き手 プロは頭の中でソロバンをはじきながら仕事をして、「ここから先は追加料金」とか考えてそうですから(笑)。 郡山 そうですね。ボランティアで無償労働をすると、おカネなんて「ついで」に付いてくる付随的なものという感覚になります。報酬というのが「別に要らないけど、くれるんなら貰っておきます」程度の、まったくの「おまけ」的なものになる。 聞き手 「別に要らないんだけど、くれるんなら貰っておく」なんて、真にリッチな人しか味わえない、太っ腹な感覚ですよね。 郡山 先日ボランティアのことを書いたブログ記事に、「いろんな意味で余裕がある人でないとボランティアは出来ない」みたいなコメントがあったんですけど、別に余裕がない人でもボランティア活動をすることによって、そういう「精神的余裕」が後から生じます。 聞き手 タイムカードの5分や10分で騒いでいるパート的なせこい労働感覚が馬鹿馬鹿しくなりそうです。 郡山 ボランティア活動をすることによって人が幸せになるというのは、まさにその点だったんだな、と思いました。 (つづく) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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