10年以上前、五反田太郎を名乗って私や鰻坂の楽天ブログにコメントを残していた男は私や鰻坂の大学時代の後輩で今は某語学系大学の教員をしているのだが、10年前の私の結婚式の際には東京に駆けつけて友人代表スピーチをしてくれた有難い友人である。先日ロンドン在住の鰻坂が帰国した際、京都在住の五反田太郎と久々に会ってきたという話を先日鰻坂から聞き、先週末たまたま京都に用事があった私は彼に結婚式以来の10年ぶりに会ってきた。年齢相応に少し毛髪量が減り白髪の量が相対的に増え肌の艶にも翳りが見られるが中身はいつもの彼である。鰻坂からは、彼と会った時に大学の仕事のことや日本国内の話に終始していたような話を聞いていたので、話が合わなくなっているような事態をほんの少しだけ気にしていたが、私との会話では学生時代から変わらないあの五反田太郎であった。宇宙の話だの言語の恣意性の話だの丸尾末広だのイタリア近代だのローザルクセンブルクの話だの、学生時代によく話したようなネタを振っても53歳の彼は35年前と同じように話に付き合ってくれるのだった。考えてみると私は10年前に帰国してから宇宙の話だの言語の恣意性の話だの丸尾末広だのイタリア近代だのローザルクセンブルクの話だのを会社の同僚などはもちろん配偶者などとも話した記憶がない。いや、厳密に言うとイタリア近代の話はイタリアに駐在していた社長とちょっとだけ話したことがある。ま、それはさておき、要するに、オトナの付き合いでそんな世間離れした話題に付き合ってくれる人は居ないということで、未だにそんな話ができる学生時代の友人は貴重だということである。ところで今回彼と話していて知った意外な事実があった。彼は卒業後五反田に本社がある化粧品会社に就職し、このブログ上の仮名もそれに由来するらしいのだが、彼は就職活動時に唯一その会社にたまたま応募したまたま合格してしまいたまたま就職してしまっただけで、もともと就職活動すらしていなかった、というのである。私は学生時代、仲間内では唯一、就職も大学院進学もせずにプータロー生活に突入しそのまま海外にサヨナラしてしまったのであるが、一方でチャッカリスーツを着て就活して社会人になっていく仲間の姿を見て少し寂しく思っていた。実は私は五反田太郎もその1人だと思っていたのだが、彼は大学4年生の6月になるまで進路が決まらず就活もせずに実家でゴロゴロしていて、ある日母親に急かされてバイトの求人感覚でリクルート社から送られてきていた分厚い電話帳みたいな会社情報集の中から適当に電話をして、たまたまその翌日に説明会をしているというその会社に出向き、トントン拍子で重役面接まで進み、何百倍だかの倍率を勝ち抜いて就職が決まってしまったので、ほかの会社は全く受けていないそうな(笑)。就職先を決める上で自己分析も何もしていないし志望も目標もなかったので当然会社に入ってからは苦労し、ある日業務中に絶叫して失神して、やがて大学院進学のために勉強を始めて合格し円満退社したのであった。ほかにも同じ大学時代の仲間でやはり就職して1〜2年で退職し東大を再受験しその後研究者の道を進み今年から母校の教授をしている男も当時一緒にバンドをしていたギタリストなのだが、結局はいったん就職しても適応できずアカデミックの世界に居場所を見つけたようである。要するに就職しても言語の恣意性の話やローザルクセンブルクの話は永遠に出来ないのである。私は会社での自分の仕事に満足していて、自分しか出来ない仕事をやっていることや、同僚や会社やひいては社会にも陰ながら貢献できている事実にもそれなりに満足している。言語の恣意性の話をする相手がいないのは少し残念だが、中国でサソリを食った話やアメリカでヌードモデルをした話や富士山に日帰り登山をしてきた話なんかを社内SNSで一方的に話してリアクションがもらえるだけでそこそこ満足している。でもやっぱり何の背景説明も抜きで言語の恣意性がどうとか宇宙がどうとか時間がどうとかいう話がいきなり出来る相手はうれしい。鰻坂も貴重な友人だが五反田も同様に貴重な友人なのである。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.08.30 22:29:34
コメント(0)
|
コメントを書く
もっと見る