体臭はなぜ臭いか
もういい加減に聞きたくない人もいると思うが、臭い話はまだ続きがある。この点について触れるまでは臭い話を終えるわけにはいかないのである。先日の日記で『「体臭=クサイ」という連想が成立したのはいつのことなのだろうか。』などという問いを立てて、生物にとって元来は異性を引き付ける役割を担っていたはずの“体臭”が“クサイ”ものとして認識されることになった起源について疑問を提起した。ボクは、実はこの人類の歴史にとってのメルクマールともいえる重大な契機について、自説を持っている。それは、「人類が体臭をクサイものと認識するようになったのは、人類が料理をするようになったときである」…というものである。火に掛けるとか熱を通すとかいう「調理」ではない。栄養価に変わりはないのに香料などを使って調味する「料理」である。察しのよい人はもう薄々勘づいていると思うが、そう、この説をひらめいたは、「おいしい食べもののニオイは体臭に似ていないか?」…という疑問に端を発する。これを読んでいるキミもいちどくらい同じことを考えたことがあるはずだ。スモークサーモンと男根納豆と足の裏寿司と女性器(東洋系)チーズと女性器(西洋系)ネギとワキガ(東洋系)ピザとワキガ(西洋系)シシカバブとワキガ(中東系)タコスとクソetc.etc.一瞬考えたことがあるけど考えないように努めたか、そんなことを言うと嫌われるから口に出さないだけで、上に挙げた例の1つや2つは誰でも一度はそう思ったことがあるのではないだろうか。たとえば、被験者に何の先入観もなしにワキガのニオイ成分だけを嗅がせて「これはピザです」と言ったら「おいしそう!」と思うに違いないが、逆にシシカバブのニオイ成分を嗅がせて「このワキガのニオイをどう思いますか」と聞いたら「ゲーッ」と言い出すに決まっているのである。ボクが何を言いたいかというと、ニンゲンがこれらの食べ物のニオイを「いいにおい!」とか「おいしそう!」とか思うのは、まさに体臭そっくりのニオイがするからなのではないか、ということなのである。端的にいえば、中華料理にせよメキシコ料理にせよ、「おいしそう」なニオイというのはどこかしら「体臭」を想起させる要素が含まれているはずだ。逆に言うと、身体から発散し異性を引き付けていたニオイを、食べ物で再現するようになったのが“料理”の起源ではないのか。それまでは、体臭そっくりのニオイがするから「おいしそう」と思ったのが、いつの間にかその関係が逆転して、人の身体が食べ物のニオイを発していると、「おいしい食べ物」という幻想を台無しにしてしまうので、それを場違いすなわち「クサイ」と認識するようになってしまった…というのがボクの仮説なのである。考えてみると、動物がフェロモンを発して異性を引き付けるのは発情期に限られている。一方、発情期のなくなったニンゲンは、年がら年中ひっきりなしに体臭を発している。人類が文明を発明する前、すなわち死亡率が異常に高かった太古の昔は、年がら年中ひっきりなしに体臭を放ち異性を引き付け生殖することでようやく人口を維持することができた。…しかし、人類が文明を発明し死亡率を劇的に低下させた頃から、年がら年中の生殖行為は人口の安定にとって不都合になった。人類が“料理”をするようになったのもこの時期ではないか。それまでは、寄生虫を殺すために肉を火に通したり、野菜や穀類を食べやすくするために“調理”はしていたに違いない。しかし、それを「体臭そっくり」な「おいしい食べ物」へとアレンジするようになったのが“料理”の起源であり、体臭をクサイものとして忌避するようになったきっかけであるに違いない。難しい言葉を使えば、人類は文明を発明したときに、「体臭によるコミュニケーション」という本能的な形式を抑圧し、「料理」という文化的な形式に昇華したのである。それと同時に、「体臭」は自らの“非文化的”で“原始的”な出自を思い起こさせる忌避すべきものすなわち「クサイ」ものとして認知されるようになったに違いない。体臭に対しては偏見・差別意識を持ちながらピザや寿司をうまいうまいと食っている現代人は、要するに“卑しい出自”を必死で隠そうとしながら、お里が知れるような行為をひけらかしているようなものだということだ(笑)。…どうだ、ボクの説の賛同者になっただろキミも。ぜひ食事の席などで同僚や家族にこの真説を開陳し、ボクのように友人の少ない人になろう!