翻訳可能性と唯言論
このまえ日本に出張したとき (仮名)心斎橋ワタルから、「咳をしても一人」の自由律俳句で有名な俳人・尾崎放哉の生涯を描いた『海も暮れきる』という小説をもらったのをさいきんになって読んでいてふと思い出したのは、ボクは英語をしゃべるようになってこのかた、詩作に通じる感興が湧かなくなって久しいんだよなあ、ということです。『海も暮れきる』には、尾崎放哉が作った自由律の俳句があちこちで登場するのですが、「砂山赤い旗たてて海に見せる」とか「足のうら洗えば白くなる」とかいった句を目にするたびに、ああ、いい感じだなあ、ボクもこんな句を作ってみたいなあ…という誘惑に駆られます。先日はトイモイさんが日記の中で尾崎放哉もどきの即席っぽい自由律句をいくつか発表していましたが(「乗り過ごし、寝ぼけて改札出る」「ああ、アヘンか」は秀作)、日々ちょっとした場面で感じたことを、こんな自由律句的な表現であらわせたら、きっと毎日楽しいだろうなあ…と思うのです。ボクは別に詩を書いたり読んだりする趣味があるわけではないのですが、小学生時代には授業中に作らされた詩が某新聞の地方欄の端っこに掲載された程度の詩のセンスは持ち合わせているつもりです。それにもともと、音楽といい美術作品といい「分かるヤツにしか分からない」と言われるような絶妙な“通の表現”の境地を愛する人間です。だから、「砂山赤い旗たてて…」みたいな表現を日常会話に散りばめられたら、さぞかしカッコイイだろうなあ…などと憧れてしまうのです。…で、どうして英語をしゃべるようになってから詩興が湧かなくなったかというと、答えはきっと簡単で、「そのような感興が英語に翻訳できないから」だと思うのです。それは、いわゆる“ワビサビ”を外国人に伝えられないというのと同じで、たとえば「静けさや 岩に染み入る蝉の声」みたいな詩興を” In tranquility, the buzz of cicadae sinks into rocks” と訳してガイジンに読んで聞かせても、「それが何やねん」と言われるのがオチであるような環境に適応してしまっている…ということです。むずかしい話をすれば、いつぞやの日記にも書きましたが、言語というものは好むと好まざるにかかわらず人々の価値観だとか知覚さえも規定するものです。端的に言うと、丸山圭三郎を引用するまでもなく、感覚より先にまず言葉ありきなのです。たとえば、ボクにとって詩興というのは日本語を通して身につけた日本語固有の感覚であって、極端な話「アメリカで日没を見ていて感じる感動」は、「日本で日没を見ていたときの感興」とはもはやベツモノなのです。そして、「頭が英語」の状態でアメリカだとかカナダで暮らしていてそのような詩的な感覚が刺激されなくなると、そういった「日本固有」の感覚は退化してしまうみたいなのです。ほかに似たような例としては、海外が長くなるにつれてダジャレを思いつかなくなるとか、「ジャンジャンやる」とか「ドワーッと押し寄せる」とかいった擬態語を使わなくなるとかいった傾向が挙げられます。いうまでもなく、これらは「翻訳不可能」な日本語でしか通用しないものだからですね。(なんだか長くなってきたので、後日につづく。)