久しぶりの今日のおかん
2008年からはじまった「今日のおかん」2008年は、1回のみ。2009年の10月以降からポツポツと愚痴を書いてました。 平成14年(2002)におとんが倒れ、平成19年(2007)までおかんは、ひたすら病院に通ってました。それまでは、体育館へ行って卓球をしたり、ソフトバレー(柔らかいボールでするバレー)したり、実姉と一緒に楽しんでいました。それを一切、止めて病院へ通うことを生きがいのようにして友達との付き合いもすべて止めてしまってました。 平成18年(2006)に実弟に自宅の屋根がヤバイとか言われて、家を建て直すことを決意。実弟に紹介された建築業者と打合せが始まりました。が、コノ業者、二世帯住宅の経験もないし、仏壇の位置をどうするべきかもしらない設計者が担当。提案も良くなかったので、半分、費用を支払う私としては納得いかず、業者をもう1社増やし、比較検討をしました。最終的に母の実弟に紹介された業者は、断りました。それ以来、私は叔父とはしゃべっていません。 この叔父、何年か前から年賀状が来なくなり2年続けて来ないので姉に聞くと姉のところには、年賀状が届いているとのこと。おかんの名前で出している年賀状に対して返信する気がないらしいのでこちらからも出すのを止めました。この叔父、昨年、亡くなったのですが、その案内さえ、おかん宛てには届きませんでした。 平成19年(2007)におとんが亡くなり、通夜、葬儀は、自分が喪主になる!と言い張ったのに喪主のお仕事は、すべて姉と私にやらせ、すました顔をしておりました。一周忌までは、自分が仕切らないと…思っていたのか、まだ、会話もそれなりだったのですが、だんだん、あやしくなってきていました。 そして、今日のおかんの2番目の記事につながることになりました。最初は、攻撃的になる認知症。とにかく、文句やら罵詈雑言の嵐でございました。 大好きな卓球もやろうともしなかったし、ラケットもどこにもなかったよと姉に葬儀の帰り道に話をしたら「自分で思うように自分の体が動かなくなってきてイライラしとったんじゃない?」おかんの病気は、後になってから、わかったことですが、認知症だけでなく「大脳皮質基底核変性症」という病気も発症しておりました。1. 大脳皮質基底核変性症とは?パーキンソン症状(筋肉の硬さ、運動ののろさ、歩行障害など)と大脳皮質症状(手が思うように使えない、動作がぎこちないなど) が同時にみられる病気です。身体の左側または右側のどちらか一方に症状が強いのが特徴ですが、典型的な症状に乏しく、診断の難しい場合が少なくありません。40歳以降に発病し進行します。(10万人当たり2名程度のまれな病気) 初期の症状は、字が書くことが出来なくなるから始まってました。とにかく、なんでも代わり書いてました。でも、それが、難病のせいだとは思ってませんでした。単なる老化だと思ってました。平成22年(2010)に義理姉の葬儀があり、その時から一人にしておけない状況だということを姉も私も認識しました。姉が認知症専門の病院に連れて行き、診断をお願いし、BtoB(ベッドからベッド)方式のデイサービスを探し、毎日、行かせることにしました。 認知症専門の病院の先生がこの症状は、認知症だけではないと思うからと言われ、色々と検査したり、別の専門医に診て貰って「大脳皮質基底核変性症」と診断されました。 その後は、自宅での介護が始まり、それでもまだ、元気だったのでなんとかなっていたのですが、平成22年4月(2010/04)に玄関の階段で転んで「大腿骨骨折」10月に部屋の中で転んで、前回とは、違うほうを「大腿骨骨折」退院後は、早朝ヘルパーさんやデイサービスの手を借りながらも自宅で頑張っていたのですが、おかんの夜の当番をしながらの会社勤務に無理があり、3ケ月で値をあげました。ちょうど仕事が忙しくなる前まで頑張ったのですが、帰りが遅くなりはじめる前に「もう、無理!」 おかんには、そこからショートスティのロングロングスティをしてもらいました。はじめは、楽しく入居者さん達とお話をしていました。私のことが誰なのかもわかっていました。でも、だんだん、言うことが毎回、変わってきました。「若い時に未亡人になった」「おとうさんが待っているから家に帰らなきゃ」「この子(私)は、妹や」姉のことは、職員さんだと思っていたみたいです。(病院に連れて行ってくれる人扱い) はじめは、歩いて行っていたトイレも車いす移動になり、口数も少なくなり、寝ていることが増えていきました。ショートスティ先を変え、違うところに行ったのですが、お話をすることもなく、車いすに座っているだけの日々です。 平成28年7月(2016)に誤嚥し、救急搬送され、一週間、死にそうに何回もなり平成30年1月(2018)に旅立ちました。 火葬場へ行く時にお寺さんと一緒に行ったのですが、こんなことがありましたと簡単に話をしました。「介護なんて、あの時、あーしていれば、こーしていれば、なんて思うことあるだろうけど、あーしていたらホントに良かったかどうかは、わからないし、何がベストなのかなんてわからないよ。できることをやったんだったら、それでいいんだよ。」このお寺さんの言葉、今、介護されている方、皆様に送りたいです。死亡した後にすること生命保険の手続きで必要な書類を聞きます。会社によって、必要な書類が違うので確認です。未払いの年金がある場合も書類が必要です。市役所に行く回数を減らしたい場合は、事前に電話して聞きまくりましょう。【市役所】聞きまくった結果で「戸籍謄本 全部事項証明」3通 死亡本人「住民票 世帯全部」2通届け出人「住民票」を貰いに行きました。全部で2550円保険証や限度額証を返して、「葬祭費支給申請書」を貰います。これは、喪主が申請するものらしいので甥に渡します。50,000円くれるそうです。証明するために会葬お礼状を持って来いとのこと…葬式を出さないヤツは、貰えないということか?ココまでは、通常「市民課」とかいう窓口になります。障がい者手帳、障がい者医療費助成の証、介護保険証、特定医療費(指定難病)受給者証を返します。医療費助成の最後の申請をします。この時に振込先を自分の口座にするために銀行通帳を持って行くとすぐに書けます。返却するために届を書く必要もあるのでハンコは、必須です。ココまでは、通常「福祉課」とか「介護課」とかいう窓口になります。【年金事務所】予約もしないで行くと受付で30分待ちですと言われました。隣の郵便局でおかん用の通帳を私の名前で作りました。この頃は、1人1通帳なんだそうです。そこをなんとか!とお願いして通帳を作りました。この通帳におかん関係の戻ってくるお金を振り込んで貰う予定です。そろそろ、いいかな?と年金事務所に戻ったのですが、そこから30分、お待ちしました。皆様、年金事務所に行くときは、予約しましょう♪HPで必要書類をダウンロードして印刷したので、待ち時間にわかるところを記入。必要書類を市役所で貰ったので、万全じゃ!と思っていたのですが、請求する人(私)の分の住民票も必要えー説明書読んでも、わかんなかったよ…なので、市役所に逆戻りです。時間も遅くなったので年金事務所は、明日の10時に予約してきました。提出だけの予定。明日は、生命保険の手続きをしに行く予定です。他には、相続の手続きを支援してくれるところに行きます。土地、建物、預金は、支援して貰ってやる予定です。やすみのうちにやらないと終わらないしな。一番、わからないのは、クレジットカードの解約。使ってないから放置しようかと思うのだが「契約者が死亡した時」とかの説明がない。しかも、どこもフリーダイヤルはあるけど9時から5時までの時間帯。まぁ、どうでもいいかです。楽天さまも家族カードの解除の仕方がわかりません。おかん用の家族カード、見つからないし…。まぁ、これもいいか。新聞、元半国営電話、国営放送の振替口座の変更をしないといけません。新聞は、手続き用の用紙を送ってくれるそうです。元半国営電話は、電話がつながりません。フリーダイヤルにかけるとネットでお問合せができます!というので、ネットでお問合せをすると電話がかかってきて、このお問合せは、先にかけたフリーダイヤルじゃないと答えられませんという。時間外は、無限ループになります。口振出来なくても知らなーい。国営放送は、口振の日が当分、先なので焦らなくてもいいかな。姉には、遺品整理を手伝ってくれとショートメールを送ったのですが返事無。明日、返事がなければ、電話するか…甥一家が越してくる時にかなり整理をして、救急搬送後、ショートスティに戻れる見込みが無くなった時にも整理をしたので残りは、通常よりも少ないと思うのだが、それでも自分の判断で捨ててもいいのか姉が使えるものがないのか、見て欲しいしな。忌引きで休みのうちに平日にしか手続きが出来ないところを出来るだけやっつけたい。「和楽器バンド」様の全国ツアーの予定が発表されたが、富山と福井があるのに石川がない。それを見た瞬間、おかんが亡くなったのより悲しかったという親不孝モノです。