今日は
あの阪神大震災でお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り居たすと共に、ご遺族の皆様の心の痛みを分かち合いたいと心掛けて居ます。
あの日の5時46分の数分前に目が覚めるので、「どうして?」と不思議に思って居たら、急に大きな揺れが!
「近い!」
と慌てて起き上がりテレビを点けました。
その後の事は皆様も良くご存知の事です。
それからの報道に心を痛めて、私は仲間達に声を掛けて何か出来ないかと話し合いました。
讃岐人なので、讃岐うどんだったら自分達でも炊き出しが出来る。
直ぐに準備を始めましたが、素人ばかりなのではかどりませんでした。
それでも震災の一週間後には、マイクロバスとトラックに分乗した我々が、神戸の住吉小学校の運動場へ入って居ました。
肉うどんの炊き出しに、暖かい食事が嬉しいと言う言葉がまだ耳に。
一週間交代でメンバーを代えて、炊き出した讃岐うどん・・・。
一週間の毎日が肉うどんばかりで、今となっては申し訳なかったと思っています。
そして同じボランティアで来られてたグループの皆さんが、私達が讃岐うどんの炊き出しをすると知り、かけうどんを提供する予定を急遽変更して「うどん焼き」にされていました。これは本当に同じボランティアとして心苦しく思いました。
今朝、テレビで神戸と淡路の映像を観て居ると、震災の一週間後に入った神戸の街の光景が目に浮かび涙が止まりません。
六甲トンネルから神戸市内に入った私達は、バスが坂道を降りて居る間は被害の程度が少なく見えて安堵して居ました。
しかし、バスが水平になる頃から、誰一人声が出なくなってしまいます。
家々が道の両側から倒れて、広い道が車一台がやっと通れる程です。
地下鉄の路線に沿って陥没した道路。
横倒しになったビル。
屋根だけ形が残っている神社(神戸の方はこの神社の名前が判りますね?)
一階部分が潰れて低くなっている校舎。
跡形もなく倒壊してしまった在来工法の民家。
そしてその荒野にポツリポツリと残ってるツーバーフォー工法や軽量鉄骨工法、パネル工法の民家・・・。
東日本大震災の被害も同様に、被害を少しでも軽減出来なかったかと、その分野(信頼性工学)の研究に携わった者として、力不足を感じて居ます。
大震災の後に考案した案件が何一つ実現して居ません。
もしもその内のどれかが完成し、供用されていたら東日本大震災の被害を少しでも減らせていたかもと思うと残念です。
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Last updated
Jan 17, 2013 08:12:03 AM
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