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カテゴリ:遠い目
わーい、仕事がまた一つ終わったぞ。久しぶりに仕事がないぞ。ということで、思いっきり、遊ぶのだ!!
さて、クリスマスが近づき私の住む町も何だか殺気立ってきました。今日なんか運転していたら、うしろから物凄い轟音がしたので見てみると、オートバイが後輪のみで突っ走っているではありませんか。たちまち対向車線にいたパトカーがUターンして物凄い勢いで追いかけていきましたが、あの調子じゃあ捕まらなかったかもしれない。 ところでしつこく、クリスマス。 私は家に仏壇があり、お正月には初詣をして、カトリックの学校に通う、という日本では珍しくない宗教的混沌の中で育った無神論者なのだけれど、カトリックの学校に行っていたせいで、クリスマスの思い出はかなりキリスト教的なものが多いです。 例えばクリスマスには、音楽や歌をバックにキリスト生誕劇のタブロー(静止した絵のような、せりふや動きのない劇)を行なうのが習慣でした。それから、皆でハレルヤコーラスを歌ったりしたなあ。高校も高学年になると、「クワイヤ(合唱団)」というのが形成されて、学校に泊り込みで歌を練習したりしたっけ。 で、クリスマスイブにはミサがあって、卒業してもこれにボーイフレンドといったりするのがおしゃれだったりしました。私も一度、血迷って大学の時の彼を連れて行ったのだけれど、まったくキリスト教に免疫がなかった彼は「げげーこれって変だよ」とかなりひいていたっけ。 この母校には小学校から大学卒業までずっと通ったのだけれど、何となく自分の気質にはそぐわないなあ、と思いつつも、他の学校を受験する甲斐性も気迫もなかったので、ずっと通いつづけたわけです。そのせいもあって、卒業してからは、この「母校的なるもの」にあえて反発して生きてきたようなところもあります。 でも、先日佐藤愛子さんのエッセイ(『たしなみなし 不敵雑記』)を読んでいて、ちょっと愕然としてしまいました。 それは、キリスト教系の学校に通っているお孫さんが、つぎのような落書きをした、という箇所。 「掟」 1.サベツをしない(あの人はイヤとかこの人はいいとかいわない)。 2.ねる前や食べる前においのりをする。 3.なんでも当り前とおもってはいけない(感謝をする)。 4.隣人を自分のように愛しなさい。 5.人のためにつくしなさい。 6.すべてをゆるしなさい。 佐藤愛子さんは、お孫さんがキリスト教の学校に行くのは反対だったけれど、これを見て入学させてよかった、と思ったのだそう。それは、「これは人が生きていく上での基礎」だからだ、という趣旨のエッセイでした。 軽いショックを受けたのは、この「掟」のうち「2」を抜かしてぜんぶ私が日頃実行するよう心がけており、かつ子供にも口をすっぱくしてよく言っていることだという事実です。 あんなに母校の特に宗教的な部分には反発していたのに、自分の中にこういう形で残っていたのかなあ、と思うと、何だか悔しいような、ほろ苦いような、微妙な気分になってしまったというわけです。うーむ。久しぶりに、母校の先生やみんなはどうしてるかな、と懐かしい気持ちで一杯になりました。 お知らせです。 暇にまかせて新しいブログをつくっちゃいました。ミーハー話のみを語る超自己満足的なブログです。 ↓ ミーハーですみません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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