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カテゴリ:クラシック
今宵の酒は芋焼酎「小鶴くろ」のロック。黒麹造り独特の風味とキリリとした飲み口がなかなかいけます。嫁から「休肝日は何時だ」となじられながら、ひたすら我が道を歩んでおります。
肴は昨夜のシューマン繋がりでクライスレリアーナにしました。ホロヴィッツやアルゲリッチ盤が王道でしょうが、フランス人でありながらドイツ・ロマン派音楽に身を捧げたグリモーの矜持、そして若き日の瑞々しいタッチに酔いしれるばかり。録音当時彼女は何と19歳!その美貌は今も尚、衰えを知りません。 それにしてもシューマンの楽曲、特にピアノ曲は素晴らしい。この8曲構成の小宇宙における迫力と抒情は寄せては返す潮騒さながらです。精神疾患の悪化によって46歳の若さで狂死するという無残な最期を遂げてはしまいましたが、この天才の遺産は人類が滅亡するまで朽ち果て絶えることはないでしょう。 このクライスレリアーナを聴くたびに、私は小林秀雄の言説を想起せずにはいられません。 「和声組織の実験機としてのピアノの多様で自由な表現力の上に、シュウマンという分析家が打ち立てた音楽と言葉との合一という原理は、彼の狂死が暗に語っている様に、甚だ不安定な危険な原理であった」 -「モオツァルト」第4章より引用- 思想や感情を音楽家であるが故に音のみで表現したモーツァルトとは対照的に、ロマン主義の音楽家は音の世界に言葉(文学)を持ち込んでしまったことで思想や感情表現の曖昧化を加速させたという氏の指摘は、全く卓見と思います。天才シューマンの遺したクライスレリアーナ、それは甘く危険な香り漂う禁断の果実でしょうか?
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最終更新日
2009.05.01 01:06:30
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