[ 2268 ] お互いが指弾をしあっては建設的な効果はなく
時間の経過が早すぎるほどで、弥生3月も今日限り、明日からは卯月4月を迎えるが、ポカポカ陽気はまだ先の様子であるし、原子力発電所の放射性物質放出事故の対処が不安だし、なにかと不信感と不安感が蔓延した世情になっている。こんな状況下では桜祭りの時期になっても、お花見を陽気になって楽しむことができないだろうし、ましてや計画停電が予定されては、心の中からゆったりと、安心した生活が難しくなっている。直接放射性物質の心配がなくても、毎日の報道からは、決して納得できる数字とか説明が理解できなく、あらためて放射能の不安さが実感させられるし、やっかいな事故になっている。日本全国が疲弊してしまっている、大震災の爪跡が深く残っている現状では、精神的な弱さが先になってしまい、被災者を元気に応援する気概が希薄になってしまう。明日には統一地方選挙が予定されていて、公示が行なわれるのだが、地方選挙を行うにも震災の被害が甚大で、選挙活動どころではないとの判断がされている。地元の浦安市では、市内の8割が液状化で大変な状況になっていて、市民のためのインフラ整備を優先させて、その復興に全力を挙げている最中に、選挙活動どころでないとの判断があるようだ。地元テレビ局の報道番組でも、明日公示される時間的タイミングの背景と、今後の対処を解説していたが、被災を受けた地元とすれば、市民生活の被災復興が優先されるし、選挙運動に没頭できる環境がないと言う。統一地方選挙の仕組みに制約があって、公示を先延ばしするも結構面倒な様子だが、市議会の選挙となれば地元が液状化で道路がでこぼこになり、家が傾いて排水管は飛び出てしまい、排水ができないままの街中で、政策を訴える気力が出るのだろうか。こうした苦境の時にこそ、自分の政策を浸透させるべき、選挙活動で訴えるスピーカーの音量をあげて訴えることが必要なのかも知れないが、清き一票を投じる市民とすれば、一日も早い復興を望むだろうし、選挙活動の見直しが必要になっている。本来、こうした時に行政の役割があるわけで、市民生活が滞っている時に、そのサービスを徹底させることに議員の活躍場面に期待をするところだが、任期が満了する時期になって、こうした難題複雑な問題が重なることが、市民とすれば一層の不安となってしまう。行政がしっかりと市民のための業務を徹底してもらい、市民の財産と生活を確りとサポートしてあげる役割を発揮するのだが、甚大な被災になっているいるために、財政負担とかの政治判断が重要視されることに、議員選挙期間の空白は許されないのだ。全ての行事が自粛されてしまいそうな、意気消沈の消極的な空気が蔓延しているが、日本の復興を信じる中で、今こそ、国家政治の勇断と国民の叡智を集約させて、政治家と国民が尊敬し合える、心の豊かさを認識しあいたいもの。お互いが信頼と信用をもって、安心した国家建設と市民保護を徹底するならば、どんな困難な場面になっても、多少の失敗を許せる心の余裕を持てるのだと思う。ことがあるたびに、お互いが指弾をしあっては建設的な効果はなく、国民の平和と繁栄を願ってくれる政治家であれば、しっかりと住民サイドに立った説明責任と、住民のための行政を指導管理をしてほしい。今回の統一地方選挙の結果がどうなるか、委縮している世情を背景とした選挙活動も、確りと見守ってみたい。