胸が痛いニュース
http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000056023,20085012-2,00.htmの記事に 「いじめを受けると、引きこもりになり、自尊心を失う可能性がある」・・・とある可能性っつーよりその記憶を越えるまで「ずぅ~っと」本人の中で「足かせ」になって新たな発想へ行くことをむずかしくする。◆今の子供達の心の中には「他人に何かをすること」で自分が生きているのを確かめようとしている部分を感じる。自分がなくて、いつも、誰かに対して「何かをする」誰かに対して反応するイジメの現場を見ても自分は「それを目撃する傍観者」の感覚、、だったりそれを見て「ふぅ~ん」と何らかの評価をする立場の感覚でいたりして、、「身の回りには」そういうの「いっぱい」あるもんね。。。「自分は●●しない」けれど、、、自分の「価値観・モノサシ」に触れる事があれば、、遠慮なく言わせてもらう。。「自分はしない」けれど「ヒトにはさせる」・・・・ものの見方。◆他人の事に「あーだ。」「こーだ。」といちゃもんつけることに「一生懸命」でいるうちは、「自分が空洞」だったり、「自分が受ける」事なく、、、自分を素通りにして、、、、「相手にやらせる。」◆気がついたら「相手にさせる」前に自分がする。◆いつもいつも「考えるの」は相手をどーにか、、こーにか、、しようとする事ばかり。自分は「知った」から、、、、スデにできる、、、というコトと混同しがち、、、だったりして、、自分が「知った」、、、そして自分が「やり」、自分に活かす「前」に私はいい事を知った、、、だから私の言う事は「正しい」からアナタはそれをするべきで、、しなければならない。。。・・・・というパターンがあるんだな。◆子供達は自分で「何かをする」まえに誰かを「傍観者の目で」面白おかしくする事で自分の「満足」を得ていたりする状態が起こる事もある。いや、、オトナも同じか。大学生スーパー●●ーのメンバーがカラオケボックスで犯されてるのを確かに見ましたよ。。。という感じでテレビインタビューに応えていたこともあったし。それだけ、、目の前にある現実、、、を「自分のモノ」とか、、「自分が関係しているもの」とか、、「自分が関わっているんだ」、、、とか今、「自分がしているんだ」、、、、という意識(&実感)が酷く薄くなると、、、そういうコトが起こるのかもしれない。意識(&実感)が酷く薄くなるときは、、、「知識」だけ「本のオベンキョだけ」「自分が考え付くコトだけ」・・・で「他人」の「気持ち」に目を向けてこなかったり自分以外の人間の気持ちに触れる事がなかったり、触れようとしてこなかったり、自分以外の人間の気持ちに「興味」を持とうとしてこなかったり、興味を持つ、、という事をしなかったり、自分以外の人間「そのもの」を知る機会がなかったりすると「思い込み」でのすれ違い「いつまもで」わかってくれない不満「筋違い」のアピール「自分の発想」のごり押し、強要「カタチばかり」の愛国心、、、しか(「言葉ばかり」)目に入らなかったりするんだ。人間、「自分が見ているもの」の延長でしか目に入らないって「気付けた」?もし、今よりも「もっと」良くなりたいなら今の「自分」のクセが手がかりになるよ。◆そうそう。。そうそう。思い出した。「もし、自分だったら。」これが不足してるんだ。◆「もし、自分だったら。」・・・これ、、深いよ。「もし、自分に当てはまるとしたら。」「もし、自分が相手のような考えを持っていたとしたら。」「もし、自分が相手の今“そのもの”だったら。」「もし、自分が相手の今のポジションで 相手のような思考を持っていたとしたら。」「もし、自分だったら。」・・・と聞いて、最初に浮かぶイメージとは結構違うと思いません?◆組み合わせると「強力」かも。「もし、自分だったら。」・・・・と「自分がして欲しかった事」・・・を組み合わせると販売系には結構強力な“キーワード”っしょ♪◆人間「●●」になら幾らでも言える、語れる。人間「自分の過去」についてなら幾らでも「言える」し、「語れる」んですよ。