コワイもの(追加)
暗いコメントを書くと気分が暗くなってしまうのであまりしたくはない。けれど、今、思ったこの気持ちは忘れるつもりだけど記録、、として残しておきたい。私は、政治政党がコワイ。過去に、戦争を実行させたのも政治政党。「お国」が動かなければ一般の人は戦争には参加はしなかった。ポツダム宣言を知った日本の上層部(戦争を実行に移せるのは上層部しかないでしょ。)黙殺、、、、したって話、その後に広島に原爆が投下された、、、、という話。今さっき知った。学校の歴史でポツダム宣言、、、は習ったけれどそんなに重要な意味を感じる事もなくただただ、試験(テスト)の為に「ポツダム宣言」という語句を覚える・・・・というかる~い意味でしか考えていなかった。いや。考えていなかった、、、ではなくただ、退屈に、無意識に、なんの関心も持っていない状態だった。戦争を始めると戦争を「なかなかやめる事ができないカラダ」になる。戦争を「やめる」事を考えると今まで自分がして来た事に対して、、、、、。いや、「自分が負けを認めるのが苦痛、、、だっただけなんじゃないのか?」当時の政府はポツダム宣言(無条件降伏)を黙殺(ムシ)した。自分が「一番だ。」と思っている人間が現実を見つめる事ができず、現実から目をそらせて「自分はまだまだ、やれる。」・・・・という傲慢なプライドを推し進めた結果最悪の事態を招く・・・・・のと似ている。少なくとも自分はそう感じている。その後、「原子爆弾」が広島に投下された。ポツダム宣言を聞いた後「今ココで無条件降伏をするわけにはいかない。」・・・・と言ったかどうかはわかれない、けれど、原爆投下はポツダム宣言を無視しなければ「落ちなかった」・・・・・かもしれない。広島にも、、、長崎にも、、、、。多くのヒトの血が流れた多くのヒトの涙が枯れた多くの人が家族を失くした多くの人がただれ垂れ下がった自分の皮膚を目の当たりにした。多くのヒトの体中にガラスの破片が突き刺さった多くのヒトの心が余裕を失った多くの人が人間らしい気持ちを押し殺した多くの子供の素直な目がお国の為に死ぬ事を目標としたそれが正義で正論でそれを実行する事が自分の人生という思考で頭の中がいっぱい(洗脳)された先生が教える事はすべて正しい親の言う事はすべて正しいみんながそうしているしそう言うからそういうモノだからそう考える事が正しくてよい事なのだそこからはみ出してはいけない事なのだそんな中でも戦争主導者に近い人間はどこにいただろう。戦争を直接動かす立場にいた政治政党。彼らは「ゲームの傍観者」のように自分の手がキヅつく事がない。キヅつくのは彼らの「ゲームの駒」のような存在の「当事者」たち。戦争当時さかんに教え込まれた「愛国心」あの「愛国心」と言う言葉はカモフラージュで戦争首謀者(その当時国を動かす立場にいた人間)への「忠誠心」という意味を含んでいた。「国がしようとする事」=「国を動かす立場にいる人間がしようとしている事」「国への愛国心」=「戦争をしようとする時に都合よく動いてもらう為の魔法の言葉」いや、「大義名分」誰もトラブルや戦争計画に自ら足を踏み入れよう・・・・・自ら手を貸そう・・・・・・・・・・・・なんて人はいない。・・・・がそこに「お国のためだよ」・・・・・という言葉を使い、無垢な時期に「愛国心」という言葉を使い無意識な忠誠心を植えつけ後から「動かしやすい状態」を作り上げる・・・・そんな「流れ(成り立ち)」が見える。今もまだ「戦争の傷跡」は癒えてはいない。戦時中を過ごした方は年齢とともに「お亡くなりになった」方のほうが多い・・・・がその戦争を真に受けた大人たちの子供達今現在の年齢にすれば40代後半~60代の熟年層。彼らは未だ戦時中に受けた「心の傷」はほとんど、、、、いや未だに強い記憶に残っている事から全く癒されていない部分がある。人間は「自分の過去の中でインパクトの強い出来事を基に 今現在の発想をするようになっている。」・・・・それに気がついてから身近な熟年層の気持ちの流れや成り立ちが見えてきた。彼らはまだその傷から完全には癒されていない。その逆に自分で納得させようと自分の傷をなんとかしようと頑張った分だけ強くその本人の意識に残りその「子供の頃の記憶」が強く残りいつまでも本当の安心本当のやすらぎ本当の幸せ・・・・・を自分では「発想できない状態になっている。」もちろん、他人の助けがありそこから脱した人もいるのは確か・・・・が全部を独りでこなさなくては・・・・・誰の助けも借りずに!!!!!!!・・・・・・・・という(責任感というのかなぁ。。。)そういう意識が強かった人ほど・・・・なれない空回り自分が望む理想には近づけない空回りの思考の中をグルグル、、、、グルグル、、、、、と繰り返している傾向があるようだ。そして、、、その40代後半~60代の未だに癒えない傷を抱え込んだ親の影響を受けるのがその子供達20代~30代以降、、、、、かな。20代~30代以降の大人たちはその40代後半~60代の自分の親たちが「どんな影響を受けて来たのか」なんて考えもしないのがフツーだしキッカケが無いと考える事がないのがフツーだから歯車の外れた「いがみ合い」や自分の親に対する嫌悪、、、、を感じたりいつまでも「分かり合えない状態」になったりする。その20代~30代以降の大人たちを見てる10代以下の子供達はまして、そんなことなんて分からない。いや、逆にそんな自分の親に対して辛く当たる自分の親を見て第三者の目線で「何かを感じ」ている。この10代以下の子供達で「やっと」戦争による影響による人間の思考の不幸系の連鎖、戦争による傷の影響はほとんどない。・・・・つまり、、、、戦争から受ける影響からはいま最も遠い位置にいる。戦争を実感できない無垢な状態。何を考えてもいい「自由な年代」・・・・が自分で考えて行動する、、、、のがニガテな場合ただ、、、言われた事をこなす、、、というのを繰り返している場合ここに「愛国心」という言葉を乗っけたらどうなるか。「愛国心」字面はとっても「いい響き」だ文字、、、というのはその文字を見た人間の「イメージ」で解釈されるもの。「愛国心」普通の目から見ればそれって大事よね。。。。と見える。そのイメージを持っている人を対象に「その時の政治政党のする事(見た目は“お国”)」への「忠誠心」・・・・という言葉を含ませて提示していくとどうなるか。「愛国心」という言葉を使ってすぐに、、イキナリ「戦争(結論・望む事)」とは言わない。徐々に、、、徐々に、、、その相手の思考が自分達の思うような流れに乗るように「道筋を立てて・・・」「~するつもりはなかった。」のに「~してしまった。」・・・という状態を作り上げる???子供は無垢だからな。。。自分が見て「正しい」と思ったことが「正しい」と思ってしまうからな。でも、、、、「同じ言葉」でも「二つ以上の意味で使える」・・・・・と言う事覚えておきたい。「同じように見える“見た目”」でもよくよく「掘り下げると」全く違うものだった・・・・・と言う事は良くある。「直感」が役に立つのはホンモノを見続けてきた人だけフツーは自力でホンモノを見極める事が出来るまでには少しの失敗や壁にぶつかったりしてそして、徐々に直感でも「見極められる(自分に)まで」なっていくもの。最初から「自分は全て完璧で正しい」と意識しない事だ。戦争を指揮していた人たち戦争を実現する大義名分を提示した人たちポツダム宣言を黙殺した人たち彼らは原爆投下された人たち、。その影響をうけた人たちに「損害賠償」を支払っただろうか。いや、、、「国」としては支払ったかもしれないね。・・・・が個人で支払う、、、とか政党として支払う、、、、などはしてないよね。チームの判断一つで沢山の被害を生んだ。後遺症に未だ悩まされている人は入る。国で支払っても結局、そのお金の出所は私たちから集めたお金(税金)個人の懐は痛まなくない?チームの判断ミスを私たちを巻き込んだ「連帯責任」のように考えているようにも感じるよ。いや、もし、政党で支払ったとしても今の政治政党の活動資金は政党助成金という名目の私たちから集めたお金(税金)の中から捻出しているわけだから彼らの懐は痛まないわけか。私らは支払ったお金を国(政治政党)というクシを通して自分のところに戻しているような感覚だわね。当時は戦争中。戦争オンリーの発想は仕方なかったかもしれない。・・・が仕方ない、、、、で終わらせてはいけない。仕方ない、、、、けれど(黙殺)した事実は「確か」に彼らがしたこと。戦争をやめさせる権限なんて一般人にはないんだから。戦争を指揮していた人たち戦争を実現する大義名分を提示した人たちポツダム宣言を黙殺した人たち人間は自分の環境から「普通に考えられる事」の中でしか行動できないし、発想が浮かばない。戦争を指揮していた人たち戦争を実現する大義名分を提示した人たちポツダム宣言を黙殺した人たち彼らの普通の考え、、、普通の行動が多くの人を死なせてまでも「戦争をする」・・・という考えや行動をする事につながっていたらその影響を直で受けた人間が今現在の政治政党、、、、となっていたら私はこわい。なぜならその系列の政治政党である限り「戦争と 縁を切ることは出来ないからだ!!!!!!」