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悩みながら現実と格闘しています。

日々、聖教新聞を拝読し人生勝利の糧にしています。

現実は厳しい。ゆえに努力と研鑽を重ねていくのだ。


May 17, 2024
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カテゴリ:抜き書き

本来の仏教

日蓮の〝立正安国〟は、本来の仏教だけでなく、『貞観政要』にも則って主張されていたのだ。そのすべてに一貫しているのは、「国主は、どこまでも人民のために奉仕すべきである」という主張であった。

ところが、日本において、仏教は当初から鎮護国家の仏教として受け容れられ、貴族仏教の性格が濃く、人民への共感は乏しかった。戸頃重基博士の表現を借りれば、「鎮護国家の名の天皇制祈禱仏教」「貴族趣味や武家好みの、人民搾取の象徴にすぎない豪壮華美麗な殿堂伽藍仏教」(『日蓮教学の思想史的研究』、二三六頁)ということであった。それは、仏教が、朝廷や幕府と癒着の関係にあったということでもある。

中村元博士が、日本の仏教需要の仕方について、所詮はシャーマニズムの城を出ることがなかったと指摘されていたことを、先の『兄弟抄』の解説(275頁)で紹介しておいたが、それはそのことであろう。日本仏教は、伝来当初から鎮護国家のための祈禱を行うことが中心の貴族仏教であったと言えよう。

「皆成仏道」(皆、仏道を成ぜん)を説く『法華経」の平等思想に注目していた伝教大師最澄が開いた比叡山ですら貴族仏教の域を出ていない。天台座主になった人の出自を見ただけでも、それが分かる。塩入亮忠著『傳教大師』に寄せた序文で、時の内閣総理大臣・近衛文麿(一八九一~一九四五)は、「比叡山の座主には皇子が六十五名方、宮家が七方、藤原家出身が四十八人、其他六十余名が座主に補任されたと聞いているが、近衛家からは五人の天台座主を出し、其他六名程天台の門跡に任ぜられている」と記している。門跡とは、皇子、皇族、貴族が住職を務める寺院、あるいはその住職のことで、最高の格式ある寺院とされた。もちろんインド、中国ではありえないものである。インドでは、出家前の身分は全く無関係であった。『法華経』提婆達多品には出家した王が奴隷となって師に仕える話が出てくる。

戸頃博士が「祈禱仏教」という言葉を使われているように、本書の巻末に掲げた年表を見ると、鎌倉幕府も、朝廷も、なすすべもなく、疫病などの災害や、蒙古の調伏の祈禱をやらせている。

釈尊は、迷信やドグマを徹底して排除し、神通力のように神がかり的なことを嫌悪していた(拙著『仏教、本当の教え』第一章を参照)。原始仏教の『ティーガ・ニカーヤ1』には、

 

ケーヴァッタよ。私が神通力を嫌い、恥じ、ぞっとしていやがるのは、神通力のうちに患いを見るからである。  (中村元訳)

 

と語った釈尊の言葉が記されている。護摩を焚いて行う祈禱の儀式についても釈尊は「堕落した祭儀」と称し、

 

このような畜生の魔術から離れていること――これが、その人(修行僧)の戒めである。  (同)

 

と語っていた。本来の仏教は、祈禱や神通力などを排除していたのだ。

ナガールジュナ(龍樹、一五〇頃~二五〇頃)が、政治の在り方を南インドのシャータヴァーハナ王に説いた『実行王正論』には、呪術的な要素は全く見られない。災害時の王への提言を見ると、

 

災害・流行病・凶作などで荒廃している人々の救済に寛大に取り組んでください。

田畑を失った人には種子や、食べ物を給し、租税を減免してください。

盗賊を取り締まり、資産を平等に、物価を適正にしてください。

 

といった言葉が列挙されていて、災害時の対応として、どれを見ても現実的で具体的な提言に満ちている。

これまで見てきた日蓮の手紙を見ても、種々の困難な状況に立たされた富木常忍や四条金吾、池上兄弟に対する教示には、呪術的要素も、祈禱のようなものの欠片も見られなかった。極めて現実的で具体的なアドバイスであった。

〝立正安国〟とは、正法を立てて国家、国民、国土の安穏、平和を実現することだが、その〝立正〟を呪術的、シャーマニズム的にとらえてはならない。平清盛をはじめとする平家一門が、その繁栄を願って『法華経』を書写して、当時の工芸技法の粋を尽くした装飾を施して厳島神社に奉納した平家納経のようなことが大事なのではない。『法華経』は、経典という〝物体〟に意味があるのではない。芸術的に装飾を施すことも、本質からズレている。そこに説かれている思想が重要なのだ。すなわち、〝立正〟とは、『法華経』という正法を人々の生き方に反映し、確立するということが重要なのである。

『法華経』は、釈尊入滅後五百年経ったころに編纂された。その後百年間に本来の仏教からズレが生じ、道理に反する仏教の装いで語られるようになった。『法華経』は、そうしたズレに対して、「原始仏教の原点に帰れ」と主張している。在家や女性を軽視する差別思想や、神がかり的な救済、権威主義などを廃し、人間の尊さ、平等を訴え、〝今〟〝ここで〟この〝我が身〟を離れることなく、人間対人間の関係性の中で自他共に目覚め、あらゆる人に安寧と幸福をもたらすために説かれたのが『法華経』であった(詳細は、拙著『法華経とは何か』を参照)。

 

 

 

【日蓮の手紙】植木雅俊訳・解説/角川文庫






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Last updated  May 17, 2024 06:01:45 AM
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