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カテゴリ:教学
第34回妙荘厳王本事品第二十七 他人をうらやむのではなく 「自分はこれで行くんだ」と 決めて生きるのが法華経 ■大要 仏教以外の教えを信じる妙荘厳王を仏法に導いた、浄徳夫人と浄蔵・浄眼の二人の子の姿を通して、法華経を弘める功徳が述べられています。有名な妙荘厳王の物語です。それでは内容を追ってみましょう。 ◇ その時、釈尊は人々に告げます。 「喜見という時代の光明荘厳という世界に、雲雷音宿王華智仏という仏がいた」 ――その時代のことです。 妙荘厳王には、浄徳という夫人と、浄蔵と浄眼という、二人の子どもがいました。 その子どもたちは、菩薩道を修行して、大神通力、福徳、智慧を具え、菩薩の境涯を得ていました。 その時、雲雷音宿王華智仏は、妙荘厳王や人々を仏法に導きたいを願います。 そこで、浄蔵と浄眼の二人の子は、母の浄徳夫人に相談します。 「どうか母上も、仏のもとに行きましょう。私たちも、法華経の説法を聴きたいのです」 母は答えます。 「仏法以外の教えを信じている父上のもとへ行って、『一緒に、仏の説法を聴きに行きましょう』と言いなさい」
「私たちは、法王の子ども「仏弟子であるのに、こんな邪見の家に生まれてしまった!」 母が励まします。 「あなたたちは、父上のことを思いやってあげなさい。そして、父上のために神変(神通変化)を現じてみせてあげなさい。 父上がそれを見たら、きっと心が晴れ晴れとして、素晴らしいと思われるでしょう。 そうすれば、皆で仏様のもとへ行くことを許してくれるでしょう」 早速二人は、父のもとへ行きます。 空中に高く昇ったまま、自由自在に歩き回ったり、寝て見せたり、体から水を出し、火を出し、大空に満ちるような巨大な姿になったり、小さくなって見せたりします。 さらに、空中で消えたかと思うと、たちまち地上に現れ、水に飛び込むみたいに地面に飛び込み、あるいは水の上を大地を歩くように歩いて見せたりしました。
「いったいお前たちは、だれを師匠にして、こんな力を得たのか。いったい、だれの弟子になったのか」 二人が答えます。 「今、広く法華経を説いておられる雲雷音宿王智仏こそ、私たちの師匠です。私たちは、その弟子です」 父は言います。 「お前たちの師匠に、ぜひ、お会いしたい。一緒に行こう!」 二人の子どもは、空中から降りて、母のもとへ行き、合掌して伝えます。 「父上は、仏法を信じ、覚りを求める心を起こしました。どうか仏のもとへ行き、修行することを許してください」 母は言います。 「仏のもとで、修行することを許します。それは、仏に会うことが難しいからです」 「どうか一緒に、雲雷音宿王華智仏のもとへ行きましょう。仏に会うことができるのはまれなことであるのに、今、私たちは宿福深厚なので、仏法に巡り合うことができたのですから」 父である妙荘厳王は群臣を、ははの浄徳夫人と子どもである二人の王子も、それぞれの眷属を引き連れて、共に仏のもとへ行きます。 その時、雲雷音宿王華智仏は、妙荘厳王のために法を説きます。 王は、素晴らしい仏の説法に大歓悦して、夫人と共に大変に価値のある首飾りを、真心の供養として捧げます。すると、仏は大光明を放ちます。 それを見た王は、〝仏の身は稀有である〟と思います。 その時、雷音宿王華智仏は、人々に告げます。 「この王は未来に成仏して、娑羅樹王仏となるだろう」
三昧(心を統一した境涯)を得た妙荘厳王は空に昇り、仏に言います。 「この二人の子は、私の善智識です。私を救いたいと思って、私の家に(子どもとして)生まれてきたのです。 その時、雲雷音宿王華智仏は、妙荘厳王に言います。 「その通りである。善智識は、大因縁である。 仏法に導いて、最高の覚りを得る心を起こさせてくれるのだ」 妙荘厳王は、空中から降りて、仏の無量百千万の功徳を讃嘆して、合掌して語ります。 「仏の法は、不可思議で妙なる功徳を具足し、成就しています。その教えと戒を行ずれば、安穏にして、快くなれます。 私は、今日より二度と、自分の心の言いなりにはなりません。二度と邪見、驕慢、怒り、諸悪の心を起こしません」 ――ここまでが妙荘厳王にまつわる説話です。 釈尊は、人々に告げます。 「この話の真意は、なんであろうか。妙荘厳王は、どうして他の人のことであろうか。今の華徳菩薩である。浄徳夫人は光照荘厳相菩薩、二人の子どもは薬王菩薩、薬上菩薩である」 釈尊が妙荘厳王本事品を説く時、八万四千の人々は、穢れを離れて、心理を見る清らかな力を得ます。
「法華経の智慧」から 人のせいにするぐちの心がある分だけ、宿命転換は贈れる。「自分の宿命だ。自分の人生だ。まず自分が人間革命していこう」と決めて、苦しくとも、悲しくとも、御本尊祈り切っていけば、必ず道は開ける。 ◇ 明るく、伸び伸びと、自分らしく活躍していけばいいのです。それが自体顕照です。自分の生命そのものを光らせていくのです。(中略)他人をうらやんで生きるのは爾前の生き方です。「自分はこれで行くんだ」と決めて生きるのが法華経です。虚像ではなく、実像の自分で勝負していくのが信心です。それが「妙荘厳王」の意義なのです。 ◇ 今、世界広宣流布の真っただ中に生を受けたのがわれわれです。どれほど宿縁が深いか。どれほどの使命があるか。仏法に偶然はないのです。まさに「我れ等は宿福深厚にして、仏法に生まれ値えり」です。この厳粛な事実を自覚すれば、欣喜雀躍です。歓喜がほとばしり出る。 (普及版〈下〉 「妙荘厳王本事品」)
宿福深厚 〝仏に巡り合うことは、3000年に1千度開花する優曇華を見ることや、1000年に1度会場に浮かび上がる一眼の亀が浮き木にあうことくらい難しい。しかし、宿福深厚(仏との宿縁が深く厚い)なので、正法と巡り合うことができた〟――ろ、「妙荘厳王本事品」には記されています。 3000年、1000年という時間は、人間の寿命から比べれば、はるかに長い時間です。この一勝で仏法に巡り合うことは、それほど難しく、希だということです。 今、仏法に巡り合い、妙法を受持できたことは、まさに宿縁の深さであり、使命の大きさゆえといえます。それを思う時、自身の福徳のありがたさに感謝と喜びがあふれてきます。 本年は、日蓮大聖人の御生誕から800年――最高無二の哲学を持ち、稀有の師匠と同じ時代に生きられる不思議さに思いをはせ、歓喜の前進を開始しましょう。
【ロータスラウンジLotusLounge法華経への旅】聖教新聞2022.3.13 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
July 3, 2023 06:21:27 AM
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