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カテゴリ:抜き書き
霊山浄土でお会いしましょう 日蓮はかくも「生きる」ことを喜ぶ人でした。この世に生まれてきたことの貴重さ、命の尊さ、生をまっとうし、一日でも長く生きることのありがたさを人々に訴えました。 こんな言葉があります。
命というものは、人にとっての第一のこの上ない宝物です。一日であってもこれ(寿命)を延ばすならば、千万両の金〔こがね〕にも勝っています。 (『可延定業書』、文永十二年(一二七五)二月七日)
一日であっても生きておられたら、功徳を積むことができます。何と惜しむべき命でしょうか。惜しむべき命でしょうか。 (同前)
生きることが大切なのは当たり前で、特に珍しいことではないと思われる方もあるかもしれません。しかし、当時は必ずしもそうではなかったのです。ことに宗教的面においては、「いま」「ここ」に生きていることよりも、死後の別世界のほうが尊くありがたいという考えがあったのです。 その最たるものが、法然らの浄土信仰でした。その教えによると、われわれが生きているこの世界は穢れてどうすることもできないが、西方の遥か彼方(西方十万億土)に阿弥陀仏のおわします極楽浄土がある。ひたすら「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば、死後そこへ行けると説きました。いわゆる「厭離穢土」「欣求浄土」です。 この考え方に、日蓮は異議を唱えました。われわれはいま、ここに、こうして生きている。なのに、なぜわざわざ死後の別世界(他土)に浄土を求める必要があるのか、と。 『法華経』では、「常にこの娑婆世界に住して説法教化している」とあるように、釈尊は常にこの現実世界に関わり続けているといいます。『法華経』を信じ実践する人のいるところこそ、釈尊が成道し、法を説き、涅槃に入るなど、仏陀としての活動を展開していくところだというのです。 そもそも「浄土」という言葉は、どこか特定の場所を指したものでもなければ、『阿弥陀経』のサンスクリット原典にも鳩摩羅什訳にも出てきません。もともとは「仏国土(ブッダのいる国土)を浄化する」[浄仏国土]という意味なのです。『維摩経』に書かれているこのサンスクリット語の原文を、鳩摩羅什が「浄土」と漢訳しました。『維摩経』は、如来の身体も人間離れしたところには存在しないことを強調する経典です。人間を離れて、別世界に「浄土」を求めさせることはありません。釈尊は仏であると同時に人間ですから、我々人間が住んでいるこの国土に正法が行われ、清らかになることが、すなわち浄土です。 では、世間法を重んずる『法華経』には、「浄土」は説かれていないのでしょうか。 あります。それを日蓮は「霊山浄土」と呼びました。極楽浄土のように死後の別世界ではなく、われわれが生きているいま、この娑婆世界で体現できる世界です。 それは、われわれの住むこの娑婆世界のインド北東部に実在する霊鷲山の情報の虚空で展開される世界として抽象的に描かれています。『法華経』は霊鷲山で説かれましたが、途中で会座を空中(虚空)に移しました。仏教において虚空は、地上世界と異なり、あらゆる対立概念を超越し、時空の概念も取り払った世界です。そこに釈迦・多宝の二仏を中心に過去・現在・未来の三世の仏・菩薩や、司法・発砲・十方に存在する仏・菩薩をはじめあらゆる衆生が一堂に会して、説法は展開されるのです。これは、「霊山虚空会」と呼ばれます。 この「霊山虚空会」を日蓮は「霊山浄土」と言いました。この霊山虚空会に込められた意味を説明します。虚空会には、三世の諸仏・菩薩が一堂に会しています。それは、「現在」の瞬間に過去も未来もはらんだ永遠の世界を意味しているのです。時間といっての「いま」(現在)しか存在しません。過去といっても、過去についての「現在」における記憶であり、結局、「現在」です。未来といっても。未来についての「現在」における期待や予想でしかありません。所詮、「現在」です。過去といい、未来といっても、「現在」を抜きにしてはあり得ないのです。 それなのに多くの人は、「いま」(現在)の重みには気づかずに、過去や未来にとらわれてしまいがちです。過去につらく忌まわしい経験をして、それを忘れることのできない人は、過去を引きずるように過去にとらわれながら、「いま」を生きてしまいがちです。あるいは、「いま」をいい加減に生きながら、未来に夢想を追い求めて「いま」を生きる人もいます。いずれも、妄想に生きていることに変わりはありません。 過去にあった〝事実〟は変えることはできませんが、過去の〝意味〟は変えられます。それは、「現在」の生き方いかんによります。仏教は、原始仏教以来、一貫して「現在」を重視してきました。原始仏典の「マッジマニカーヤ」に次の言葉があります。
過去を追わざれ。未来を願わざれ。およそ過ぎ去ったものは、すでに捨てられたのである。また未来はまだ到達していない。そして現在のことがらを、各々の処においてよく観察し、揺らぐことなく、また行動することなく、それを知った人は、その境地を増大せしめよ。ただ今日はまさに為すべきことを熱心になせ。
霊山虚空会は、その「現在」の瞬間がいかに豊かな永遠の境地をはらんだものであるかを示しているのです。 それは、虚空会に十方の諸仏が集合していることで、われわれの生命が宇宙大の広がりを持つものであることを象徴することによっても示されています。 悩みに打ちひしがれているとき、自己は小さく委縮していますが、山の頂上に立ったりすると、視野が広がって広大な自己に気付きます。この例が示すように日常の雑務に追われ、困難に打ちのめされてちっぽけになった自己であっても、広大な生命の広がりを持っていることが分かります。 このように永遠の時間と、無限の空間をそなえた虚空会の会座に〈地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天〉の六道の衆生と、〈声聞・独覚〉の自利的真理探究者、〈菩薩〉という利他的修行者、それに覚者としての〈仏〉の十種(十界)がすべて勢ぞろいします。それは、瞬間に永遠をはらみ、宇宙大の広がりを持つわれわれの生命に具わる十種の働きを擬人的に表現したものであって、この虚空会自体が、一人の人間の生命の全体像、命の本源を意味しているのです。これが、『法華経』に描写された霊山虚空会の意味であり、日蓮の言う「霊山浄土」なのです。 『法華経』を読誦することは、その命の本源である霊山浄土に立ち還ることを意味します。日蓮は、その霊山虚空会(浄土)を文字で曼陀羅として顕しました。その曼陀羅に向かって「南無妙法蓮華経」と唱えることは、「妙法蓮華経」、すなわち『法華経』に南無する、すなわち帰依すること、『法華経』に展開される尊く豊かな生命の世界に立ち還るということです。それは、日々に霊山浄土に立ち還ることを意味します。 『法華経』が、初めは霊鷲山という地上で説かれ、途中で虚空に場所を移し、最後に再び地上に戻るという形式をとっているのは、日常生活の場と霊山浄土の往復を言っているのでしょう。 日蓮の手紙の中に、このことを分かりやすく説明した手紙があります。
私たちが居住していて、『法華経』というあらゆる人を成仏させる一仏乗の教えを修行する所は、いずれの所であっても、久遠の仏が常住する常寂光の都であるはずです。我らの弟子檀那となる人は、一歩も逝くことなくして天竺の霊山浄土を見、本来ありのままに常住する仏国土へ昼夜に往復されることは、言葉で言い表すこともできないほど嬉しいことです。 (「最蓮房御返事」、文永九年〔一二七二〕四月十三日)
『法華経』を読誦し、実践する人のいるところが、そのまま霊山浄土であり、その人は、そこから一歩も動くことなく、日夜そこに往来できると説いています。 日蓮は、この『法華経』の思想に基づいて、「南無妙法蓮華経」の題目を唱えることを勧めました。哲学者の梅原猛氏の表現を借りれば、
「南無妙法蓮華経」ととなえる題目は、いわば、永遠を、今において、直観する方法なのです。(紀野一義・梅原猛著『仏教の思想12 永遠のいのち〈日蓮〉』)
ということでしょう。 『法華経』に説かれた永遠・常住の境地(霊山浄土)に立ち還ることによって、自己に永遠・常住の境地を体験することになります。永遠は、決して死後の世界にあるのではなく。「いま」「ここ」で、この「わが身」を離れることはないのです。 それを極めていけば、もはやこの世もあの世も分断されたものではありません。娑婆世界を離れて浄土は存在せず、娑婆世界を穢土として厭い離れる必要もありません。生も死も一つのつながりのものとなります。 それは、上野尼に与えられた次の手紙に示されています。
生きておられる時は、〝生の仏〟であり、亡くなられた今は〝死の仏〟であって、生死ともに仏なのです。即身成仏という大事な法門はこのことです。 (『上野殿後家尼御返事』、文永十一年〔一二七四〕七月十一日)
ここには、「生死の二法は「心の妙用」(『大白午車書』)という考えが反映していると考えられます。「生」という在り方(法)も、「死」という在り方も、一つの生命(一心)に具わる不思議な働きの二つの現れ方であるということです。それは、ちょうど「水」と「波」の関係に似ています。風が吹けば波が生じます。風がやめば波は滅します。波の生と滅が、生と死に相当しますが、そこには「水」が変わることなく在り続けています。生命(一心)が条件に応じて「生」と「死」の姿をとっているということです。 上野尼の末子・五郎が亡くなった次の日、および四か月後に書かれた手紙をすでに紹介しましたが、その手紙の末尾には、いずれも大事なことが記されていました。愛しい五郎を亡くして、夢か、幻かと嘆いている尼に、日蓮はいつの霊山浄土のことを説いていたのです。
82ページで取り上げた手紙の続きが、こちらです。
〔五郎殿は〕釈迦仏と『法華経』に熱心に帰依しておられましたので、臨終の相は立派でありました。心は、亡くなられた父君と一緒に霊山浄土に行かれて、手を取り合い、頭を突きあわせて喜んでおられることでしょう。 (「上野殿後家尼御前御書」、弘安三年(一一八〇)九月六日)
また、84ページで紹介した四か月後に送られた手紙の末尾がこちらです。
〔あなたはどうしたら五郎殿に会えるか心惑っておられるようですが〕やすやすとお会いできることがございます。 釈迦仏を使いとして霊山浄土へ行ってお会いして下さい。『法華経』に「もし法を聞くことあらん者は一(ひとり)として成仏せずということ無けん」といって、大地を指せば外れるとしても、太陽が尽きがちに堕ちるとしても、潮の干満がなくなる時代が来るとしても、夏になっても花が実にならないとしても、南無妙法蓮華経と唱える女人の思い続けている子どもに会えないということはないと説かれております。 (「上野尼御前御返事」、九安余年〔一二八一〕一月十三日)
これが『法華経』の教えであり、日蓮の死生観です。以上のことから、霊山浄土は、生存中に日々立ち還るべき生命の本源であり、死して後に還りゆくところといえましょう。
【100分de名著「日蓮の手紙」】植木雅俊(仏教思想研究家・作家)/NHKテキスト お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
July 15, 2023 06:07:01 AM
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