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カテゴリ:抜き書き
感じる力を持った選手は必ず伸びる 懸命に努力しているのに、結果が出ないという選手がいる。私にもそういう時代があった。 前にも述べたが、プロ三年目にしてレギュラーとなり、翌年にはホームラン王を獲得。「これで何とかプロでやっていけそうだ」と思った矢先、突然、打てなくなった。二年連続して打率は二割五分程度、ホームランも二十本ほどに減ってしまった。 「練習が足りないんだ」 そう思った私は、それこそ手をマメだらけにして毎日バットを振った。人の倍以上は練習をしたと思う。それでも結果は出なかった。 要するに、間違った努力を私はしていたのである。私は打てない原因をひたすら「練習不足」に求め、何をすべきかを理解していなかったのだ。 あるとき、私はバットを振るだけでなく、なぜ打てないのかじっくり考えてみた。すると、「自分は不器用である」という現実にぶちあたった。つまり、こういうことだ。 私は、カーブならカーブ、ストレートならストレートがくると分かっているときはちゃんと打てる。ところが、カーブと予測したところにストレートを投げられたり、逆にストレートだと思っているときにカーブがきたりすると、もうお手上げなのだ。とっさに対応できる技術力を持っていなかったのである。 一軍に上がったばかりの頃は、相手がなめてかかっているから、普通に勝負をしてきた。それである程度打てたのだが、何年かすれば当然相手は警戒するようになる。私の裏をかいてきる。それで読みが外れて打てなくなってしまったわけだ。 とはいえ、読みが外れたときにとっさに対応できるのは、ある意味、天性である。いくらバットを振ろうと、どんなに努力しようと、天災ではない私にできる芸当ではなかった。にもかかわらず、私はやみくもにバットを振るだけだった。 その時私は気がついた。 「おれには読みがはずれたときの対応力はないが、読みが当たれば打てるのだ。だったら、読みの制度をあげればいいのではないか」 そこに気がついたことで、私はデータを収集して相手バッテリーの配給を分析するとともに、テッド・ウィリアムの著書を参考に、相手投手や捕手のクセを探した。おかげでそのシーズンに早くも二割九分、二十九本塁打をマーク。以降も打率三割前後、ホームランも三、四〇本をコンスタントに記録できるようになったのである。 確かに努力は大切だ。だが、方向性と方法を間違った努力は、ムダに終わるケースもある。そこに気がつくかどうかが一流になるための重要なカギとなる。 何度も繰り返すが、「人間の最大の罪は鈍感である」—私はそう思っている。一流選手はみな修正能力に優れている。同じ失敗は繰り返さない。二度、三度失敗を繰り返す者は二流、三流。四度、五度繰り返す者はしょせんポロ野球失格者なのである。 なぜなら。そういう選手は失敗を失敗として自覚できないか、もしくは失敗の原因を究明する力がないからだ。「鈍感は最大の罪」とは、そういうことを指すのである。「小事は大事を生む」という。ささいなことに気付くことが変化を生み、その変化が大きな進歩を招くのである。気づく選手は絶対に伸びる。これは長年プロの世界に身を置いてきた私の経験から導き出された真理である。 従って指導者は、もしも相手が間違った努力をしているときは、方向性を修正し、正しい努力をするためのヒントを与えてやる必要がある。だから私は「監督とは気づかせ屋である」と常々いっているわけだ。
【弱者の兵法 野村流 必勝の人材育成論・組織論】野村克也著/アスペクト文庫 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
January 28, 2024 04:57:14 PM
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