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カテゴリ:抜き書き
一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず 「世間法」と「仏法」という立て分け方がある。「主君のため」と「世間に対する心根」は、前者に当たる。日蓮は、両者の関係を次のように記している。
まことのみちは、世間の事法にて候。金光教には「若し深く世法を識らば、即ち是れ仏法なり」ととかれ、涅槃経には「一切世間の外道の経書は、皆是れ仏説にして外道の説に非ず」と仰せられて候を、妙楽大師は法華経の第六巻の「一切の治生産業は、皆実相と相ひ違背せず」との経文に引き合わせて心をあらわされて候には。彼れ彼れの二経は深心の経経なれども、彼の経経は、いまだ心あさくして法華経に及ばざれば、世間の法を仏法に依せてしらせて候。 (『白米一俵御書』)
世間法(世法)と仏法に二分して、世間法としての世俗的生活が汚れたもの、価値の劣るものとして、日本仏教の多くは世間を離脱して山林に隠棲して禅定や読経に専念する傾向が強かった。世間法は仏法のためには手段であるかのように言われているが、世間法は目的なのであり、それが『法華経』の思想なのだと、日蓮は言っている。仏法は、世間の法と切り離されているのではなく、仏法と世間法は不即不離であり。 日蓮は、さらに次のように言っている。
智者とは、世間の法より外に仏法を行(おこなわ)ず。世間の知世の法を能く能く心えて候を智者とは申すなり。 (『減劫御書』)
智者と言われる人は、仏法を世間の法とかけ離れたものとしてとらえることはない。世間における一切の生産・創造の活動は、仏の悟られた真実の在り方と矛盾・対立するものではないのだ。 『法華経』や、日蓮のこのような思想に由来して、京都の法華衆の中から、狩野元信(一四七六~一五五九)、長谷川等伯(一五三九~一六一〇)、本阿弥光悦(一五五八~一六三七)、尾形光琳(一六五八~一七一六)、松永貞徳(一五七一~一六五四)、山本春正(一六一〇~一六八二)、元政上人(一六二三~一七四三)、俵屋宗達(?~一六四〇頃)、室井其角(一六六一~一七〇七)、尾形乾山(一六六三~一七四三)など、多くの幻術化や文学者達が輩出したことは、特筆すべきことであろう(元政上人については、拙著『江戸の大詩人 元政上人』、中央叢書を参照)。彼らにとって、文学や芸術の創作といった世間法そのものが、仏法であった。 世間の治生産業の法をよく心得る智慧とは矛盾しない。『法華経』の信仰は、現実とかけ離れいるのではない。現実世界、各人の日常生活の場面を通して現れるものなのだ。 その現実生活、日常生活の一環として、四条金吾にとっては喫緊の課題となっている「主君のため」ということが挙げられている。それをさらに一般論化すれば、「世間に対する心根」ということであろう。 以上のような考えから、弘安元年四月十一日付の『四条金吾殿御返事』(『檀越某御返事』の別名がある)では、
御みやづかい(士官)を法華経とをぼしめせ、「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」とは此れなり。
という表現も出てくる。ここに「御みやづかい」をあげていることについて、日蓮は、封建制度を容認していると論ずるものがあるが、それは前後関係の世見落としである。ここは、当時の社会における「一切世間の治生産業」の一つとして挙げられたものである。 『法華経』の徳実相というものは、「主のため」や、「御みやづかい」をはじめとする「一切世間の治生産業」における「世間の心根」のよい、社会人としての立派な振る舞いを離れて存在することはないのだ。 「仏法」は、人間として在るべき理法に基づき、真の自己に目覚めることによって人格の完成を目指すものである。その人格の完成を通して世間、すなわち社会に貢献することが「仏法」だというのだ。
【日蓮の手紙】植木雅俊 訳・解説/角川文庫 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 11, 2024 05:25:42 AM
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