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July 3, 2024
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カテゴリ:教学

13佐渡流罪

創価学会教学部編

 

文永8(1271)1010日に依智(現在の神奈川県厚木市北部)を出発した日蓮大聖人は、12日後の22日に「越後国寺泊(=新潟県長岡市北部)」(新1277・全951)に着かれました。

 

 

寺泊にて

佐渡へは船で渡るため、順風が吹くのを待って、数日、寺泊に滞在されました。ここで、お供を申し出た入道(ここでは剃髪し戒を受けた在家者)を返し、富木常忍へのお手紙(「寺泊御書」)を託されます。そこには、道中の過酷さは創造も及ばないほどであったけれども、もとより覚悟の上であったことが記されています(新1277・全951、参照)。

お手紙ではさらに、大聖人が経文通りの難を受けていることを示されています。そして、涅槃経に説かれる「贖命の重宝」(最も大切な命を守るための重宝)という法門を挙げ、天台大師(智顗)の注釈を引いて、法華経こそが仏法の命というべき教えであり、法華経以外の諸経は法華経を得るための重宝であると教えられます。続いて、法華経が最勝の経典であることを認めない諸宗の学者らの誤りを指摘し、法華経よりも印と真言〈注1〉が説かれる大日経の方が優れているとするなどの真言宗の主張を、とくに批判されています。

また折伏によって難に遭うことは法華経の経文通りであり、勧持品第13で説かれた「三類の強敵」〈注2〉についての文を現実に体験された大聖人の実践の正しさを示されます。最後に、大聖人こそが、時に適って「三類の強敵」を顕した、法華経を弘める人であることが明かされています。

 

 

 

劣悪な環境で

1018日而佐渡に到着された大聖人は、111日、塚原に身を置かれ、「死人を捨つる所」(新1234・全916)にあった荒れ果てた堂に住まわされました。現在の新潟県佐渡市目黒町付近と考えられています。

後に大聖人は、「天井は板間が合わず、四方の壁は破れて、堂の中に雪が降り積もって消えることがない。このような所に敷皮(=毛皮で作った敷物)を敷き、蓑をまとって夜を明かし、日を送った。夜は雪、雹、雷光が絶えない。昼は光も差し込まない。心細い住まいである」(同、通解)と仰せです。さらに、「着ている着物は薄く、食べ物も乏しい。……生きながらにして餓鬼道を感じ、さらに八寒地獄(極寒に苦しめられる8種類の地獄)に堕ちたのである」(新1428・全1052、通解)と記されており、衣食住にわたって劣悪な環境だったことがうかがえます。

この流罪の地で大聖人は、未来にわたる民衆救済のための御闘争を果敢に展開されるのです。

 

 

諸宗の僧らをことごとく論破

 

 

塚原問答

佐渡の諸宗の僧らは、大聖人への対応を協議します。

それは最終的に「(佐渡国の守護代)本間六郎左衛門尉殿に頸を斬ってもらうように訴えて、斬らなかったなら、われわれで企てようではないか」という意見にまとまりました。

この意見を伝えるべく守護所に集まった諸宗の僧らに対して、本間重連は告げました。

「お上から殺してはならぬという命令が下っていて、侮ってよい流人ではない。過ちがあったら私、重連の大きな罪となってしまう。それよりも、ただ法門で責めよ」(新1237・全917、通解)

これによって、文永9年(1272116日、佐渡だけでなく信越、北陸、東北などから諸宗の僧らが数百人集まりました。重連をはじめ佐渡の民衆も多く集まる前で、2日間にわたって問答が行われたのです。

大聖人は、彼らの主張を一つ一つ上げて、その内容を確認すると、彼らの誤りや矛盾を一言二言でことごとく論破されました。その様子を「利剣をもってうり(瓜)をき(切)り、大風の草をなび(靡)かすがごとし」(新1238・全918)と述懷されています。大聖人に責められ、その場で念仏の信仰を捨てるものまで現れした(同、参照)。これを「塚原問答」といいます。(続く)

 

 

池田先生の講義から

(「寺泊御書」御執筆時点で大聖人は)流刑地を目前とした状況に置かれています。しかし師子王の破邪顕正の炎は、いやまして盛んに燃え上がるtがごとくでありました。むしろ、今まで以上に、新たな広宣流布の戦いの地平がひらかれていることが本抄(=「寺泊御書」)からも伝わってくるのです。

いうなれば、大聖人は、吹き荒れる大難の嵐の中から、未来のために応戦流布の再構築を目指されたとも拝することができます。

何が日本を狂わせているのか。亡国・亡民という危機に瀕している日本国の人々を救うために、新に広げるべき大法とは何か。その未来の法華弘通にあって、日蓮大聖人はいかなる存在か。そして、どのような精神で立ち上がってこそ真正の法華経の行者と言えるのか―—。

大聖人は、流罪地で「開目抄」「観心本尊抄」等を著され、末法万年の民衆救済の大仏法を確立させていかれるのです。

(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第10巻)

 

 

〈注1〉    印は、仏・菩薩・神々などを象徴する特定の手・指の酌み方(手印)のこと。真言は、仏・菩薩などの智慧や力を象徴する一種の呪文。密教では、印と真言によって仏・菩薩などの力が行者に備わり、祈禱が成就すると説く。

〈注2〉   釈尊滅後の悪世で法華経を弘通する人に迫害を加える強固な敵対者を、妙楽大師(湛然)が3種類(俗衆増上慢②道門増上慢③僭聖増上慢)に分類したもの。大聖人は、現実に三類の強敵を呼び起こしたことをもって、御自身が末法の法華経の行者であることの証明とされた。

 

[関連御書]

「種々御振舞御書」「寺泊御書」「法連抄」

 

[参考]

「池田大作全集」第33巻(「御書の世界〔下〕」(第十章)、「大白蓮華」201256月号『勝利の経典「御書」に学ぶ』(種々御振舞御書)講義②・③)、小説「新・人間革命」第11巻「躍進」、『勝利の経典「御書」に学ぶ』第10巻(『寺泊御書』講義)

 

 

 

【日蓮大聖人 誓願と大慈悲の御生涯】大白蓮華20235月号






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