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September 10, 2024
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カテゴリ:社会

首都東京の安全と防災

関東大震災100年に考える

10万人を超える死者・行方不明者を出した関東大震災から今年91日で100年。帝都復興事業を経て復興を成し遂げた首都東京だが、今後予想される直下型地震が新たな脅威を生んでいる。関東大震災から何を学び、防災につなげればよいのか。今年5月、『関東大震災がつくった東京 首都直下型地震へどう備えるか』を上梓した名古屋大学減災連携研究センターの武村雅之特任教授に聞いた。

 

都市基盤築いた帝都復興事業

市民が誇りに思う町づくりこそ

武村 雅之

震災への疑問に向き合う

地震学者として30年間、関東大震災に関するさまざまな疑問に向き合ってきましたが、拙著『関東大震災がつくった東京』は、その自身の研究における終着点という思いで論じたものです。

一般的に関東大震災は東京を襲った震災と思われていますが、震災の原因となった大正関東地震の震源断層は神奈川県のほぼ全域と千葉県南部に当たる地域です。東京湾の奥に位置する東京は震源断層から外れています。その東京で最大の被害が出たのはなぜか。それは最初の大きな疑問でした。

また、その震災から見事に立ち上がった東京が現在あるわけですが、東京の復興はどのように成し遂げられたのか。そこにも関心が及びました。調査を続けると、そのときだけ日本人は変わったのではないか——そう感じるほどに帝都復興事業には目を見張るものがありました。

関東大震災で東京が最も大きな被害を出すことになった原因は、一言でいえば、明治政府の都市政策の誤りです。道路や公園などの基盤整備を行わないままに人口集中による木造密集地の形成を放置、促進したことが最大の原因でした。

そして震災翌年から足掛け7年にわたり実施された帝都復興事業は、その反省に立ち、二度と災害でこのような悲惨な目に遭いたくないという東京市民が選択した事業であることになりました。また、復興の姿を残す記念碑等について調べていくなか、現在の東京中心部の都市基盤になっている建造物の多くが、帝都復興事業によってつくられたものであることにも気付きました。

 

 

目を奪われる優美な橋梁

帝都復興事業を含む震災復興期には、東京を代表する墨田川や神田川、日本橋川等の河川に次々と橋がかけられています。震災で破損、焼け落ちた橋梁に対し、耐震耐火、設計の細部までこだわったこれらの橋は、その後の第2次世界大戦の空襲にも耐え、戦後復興を支えました。その耐震性は「首都直下地震起きても帝都復興事業で架けた橋は落ちない」と橋梁の専門家が明言するほどです。

また、腹腔鏡量に目を奪われるのは、それらの優美な姿、美観です。『帝都復興史』(1930年)には4「各その形式を異にして夫々優美を競えるを始めとし……壮麗ではあるが浮華軽薄な装飾を避けて見厭きのせぬ明るい感じを出すことに意を用い……空の眺望を妨げざる様細心の注意が払われている」と記されています。

「各その形式を異にして」については、架設事業を通し、日本の技術力を高める狙いがあったからではないかといわれています。その結果、日本の橋梁技術は復興事業を通じ世界最高レベルまでに広がったのです。

 

 

為政者は信念持ち政策を

 

 

直下地震におびえる原因

帝都復興事業の性格が明らかになるなか、私の中で不安が増えてきたのが震災から100年の東京の姿でした。それは帝都復興事業が目指した街とは異なる首都東京のありようでした。

拙著の最終章では、そうした視点から、海抜ゼロ㍍地帯や郊外の木造密集地域、タワーマンションが林立する埋め立て地等を取り上げ、首都直下地震におびえる原因を生み出す問題について論じています。

防災は町を守ろうとする人々の総意から生まれると私は考えています。それには市民が誇りに思える町づくりが大切です。誇りに思える町だからこそ、守りたい気持ちも生まれるのです。それが防災の起点にもなります。

復興橋梁で触れた美観も市民が誇りに思う町の要素の一つでしょう。東京でいえば、首都としての品格です。帝都復興事業は公共性、国民的合意形成とともに、この首都としての品格形成に特徴づけられる事業であったと私は考えています。しかし、現在の東京からは目指すべき町の姿はありません。埋立地の造成や高層ビルの建設は進んでも、市民が住みたいと思える町とかけ離れたものになってはいないでしょうか。

市民が誇りに思える町、住みたいと思える町づくりこそが防災の第一歩なのです。帝都復興事業を調査する中、私が最も現在と異なると艦居たことは、当時の為政者が将来国民に必要であると思うことは信念を持って国民を説得し政策を推し進めていたということです。そうした町づくりに国、行政が取り組むことで、市民の防災意識は向上すると考えています。

 

たけむら・まさゆき 1952年、京都市生まれ。鹿島建設を経て現職。理学博士。専門は地震学、地震工学。中央防災会議専門委員、歴史地震研究会会長などを務める。著書に『関東大震災を歩く』『自信と防災』などがある。

 

 

 

【社会・文化】聖教新聞2023.7.18






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Last updated  September 10, 2024 05:29:08 AM
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