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カテゴリ:抜き書き
「現在は力、未来は理想、過去は形骸」=三木清 日蓮の言っていることは、今現在という瞬間に、虚空会、久遠、あるいは生命の根源としての無作三身如来の命、すなわち南無妙法蓮華経という法と智慧を開き、歓喜の源流としてほとばしる、そこに、瞬間が永遠と開かれるということだと思います。 哲学者の三木清氏が、「友情——向陵生活の一説」と題する小論で、
現在は力であり、未来は理想である。記録された過去は形骸にすぎないものであろうが、われわれの意識の中にある現在の過去は、現在の努力によって刻々に変化しつつある過去である。一寸の現在に無限の過去を生かし、無限の未来の光を注ぐことによって、一瞬の現在はやがて永遠となるべきものである」
と、言っているのは示唆に富んでいます。 このように、『法華経』が志向したのは、<永遠の今>である現在の瞬間であり、そこに無作三身如来の命をいかに開き、顕現するかということだったと思います。 以上のことを踏まえますと、成仏とは、この「我が身」を離れてのことではなく、今自分がいる「ここ」を離れるものではありません。要するに、「今」「ここ」にいるこの「我が身」に無作三身如来を開き、具現するということであります。こうしたことが、「久遠即末法」の意味しようとしていることではないでしょうか。 これに対して、「今」ではなく「死後」、「ここ」(=娑婆世界)ではなくて「あちら」(=死後の世界)、「我が身」は不浄なものであり否定されるべきものとする宗教がありますが、これは、法華経の人間観、人生観、国土観とは全く逆行するものであり、日蓮の否定するところとなりました。その批判の理由の一つが、ここにあったわけです。 『法華経』は、現在の瞬間に<本因・本果・本国土>の三妙を合するものであるといえましょう。それは、現代的に言い換えれば永遠・常住の世界が開けることであります。日蓮の言う「本時」とは、三妙の合するときということができるのではないでしょうか。
【仏教に学ぶ対話の精神】植木雅俊著/中外日報社 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
October 1, 2024 04:37:55 PM
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