衆生所遊楽 どこで人は救われるのか?/四条金吾殿御返事 その1
衆生所遊楽 どこで人は救われるのか?/四条金吾殿御返事 その1(友岡雅弥) 四条金吾殿御返事(衆生所遊楽御書)につぎのようにあります(p1143)。長いですが、生活感溢れた分かりやすい文章なので、ちょっと引用します。 一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うる外の遊楽なきなり。境に云く「衆生所遊楽」云云。此の文・あに自受法楽にあらずや。衆生のうちに貴殿もれ給うべきや。所とは一閻浮提なり、日本国は閻浮提の内なり。遊楽とは我等が色心・依正ともに一念三千・自受用身のほとけにあらずや。法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし。「現世安穏・後生善処」とは是なり。只世間の留難来るとも・とりあへ給うべからず。賢人、聖人も此の事はのがれず。ただ女房と酒うちのみて南無妙法蓮華経と・となへ給へ。苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへ・ゐさせ給へ。これあに自受法楽にあらずや。いよいよ強盛の信力をいたし給へ。恐恐謹言。 「衆生所遊楽」は、『法華経』如来寿量品の自我偈、「現世安穏・後生善処」は、同じく薬草喩品にある言葉です。 『法華経』がいつごろ成立したのかは、まだ不明です。しかし、紀元前後一世紀ぐらいだと推定されます。いわゆる「大乗経典」のなかでは、初期に属します。 『浄土経典』群は、だいたい紀元後世紀ぐらい。 ということは、だいたい1世紀ぐらい『浄土経典』群が遅いかなぁという感じですね。 なぜ、『浄土経典』を出したかというと、のちの時代に、この現実世界(現世)は、悩みや煩悩ばかりで、死後、この世を離れた「阿弥陀の浄土」に往って人は救われるという、「往生しまっせー思想」が、この『浄土経典』群の拡大解釈が生まれたからです。 ただし、もともとの原典(原点)に立ち返ると、かならずしもそうではありません。 仏典の『浄土』は、「この世を離れた天国」みたいな話ではなく、ksetra-parisuddhi、つまり、「(住んでいる)土地をきれいにする」という話で、 「浄」は「きよらかな」という形容詞ではなく、「きれいにする」という動詞の名詞形なんです。 「浄土」の反対の「穢土」というのは、なんか「けがれた国」にたいはニュアンスですが、 もともとは、全然ちがって、 Vimalak trti-nirdosa Sotra(維摩経)には、「穢土」は、砂漠や石ころだらけの土地として、描写されています。 そこを、「浄土」していくわけです。 これは、仏教の基本的な姿勢です。社会的に、具体的行動を行うこと。 だから、仏教徒は、橋のないところに橋をかけたり、水の不便なところに井戸を掘ったりしたわけです。 「高原穿鑿(こうげんせんさく、こうげんせんじゃく、こうげんせんしゃく)の譬えというのが、『法華経』法師品にあります。『法華経』を求める人は、荒れた高原で井戸を掘るときのように、諦めずに進みなさいという話です。 荒れた高原ですから、最初は掘っても掘っても乾いた砂ばかり。ところが諦めずに掘っていくと、砂が湿ってくる、そして泥になると、もう水は近い、という話です。 この譬えがリアリティを持って受け入れられたのは、法華経修行者たちが、井戸を掘ることに、日ごろから親しんでいたからと、想定されています。 さて、ちょっと前置きが長くなりましたが、『法華経』如来寿量品自我偈の「衆生所遊楽」前後を思い出してください。ここでは、まるで、日本の平安時代に信じられていたような、この世を離れた、極楽世界的描写があります。 天の楽人たちが、タブラやヴィーナなどを弾き、花が降り注ぎ……。 しかし、この自我偈は、あくまで「この現実世界のこと」なのです。あの世のパラダイスではないのです。 この現実社会が、どのように災難や苦しみにあふれていても、そこからはなれず、どこまでもこの現実世界を、音楽や花で満ち溢れた社会にすることが、仏の意図であり、仏法者の在り方なのだ、というわけです。 さて、この四条金吾宛のお手紙で大聖人は、 「所とは一閻浮提なり、日本国は閻浮提の内なり、遊楽とは我等が色心・依正ともに一念三千・自受用身の仏にあらずや。法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし。『現世安穏・後生善処』とは是なり」 と仰せになっています。 「所」は、漢文訓読の連体修飾語を表す語です。「関係代名詞」的なニュアンスの言葉です。だから直訳すると、「人が遊楽する、この現実世界」という感じです。「所」自身は訳の中には出てきません。 それを大聖人は、言葉としてあまり意味のない「所」を、あえて「場所」とよみ、極楽みたいに現実離れしたどこか別の世界ではなく、この一閻浮提、そして人々が大聖人との麤門下を迫害する「日本国」としたのです。 あそこじゃないよ、ここだよ! 「現世安穏・後生善処」の語も、「是なり」、つまり「同じ意味である」と、大聖人は続けられます。 この言葉は、弾圧にあって退転していった大聖人門下が、大聖人に投げつけた言葉です。 この信心を続けたら、「現世安穏・後生善処」のはずなのに、弾圧ばかりだ、約束が違うと。 でも、このお手紙をみれば明白ですね。 つまり、現実がピースフルであって、死後、極楽みたいな「善き処」に行くのが、この信心の目的ではなく、 「ただ世間の留難来るとも・とりあへ給うべからず」 世間からの迫害や世間的な苦悩のただなかで、それを真正面から見据えて、生きて行くことが、この信仰の根本であると、仰せなのです。 今ここを誠実に生きることに尽きるのです。 すたぽ2018.8.28