カテゴリ:両親
うちの父は変だ。(昨日も書いた)
でも、実物を見ないで彼の今までの人生を語ると、 大抵みんな「かっこいい」なんて言ってくれる。 実物を見ないで、だけど。 父は大学在学中、軽音楽部に所属し、アルトサックスを吹いていた。 ジャズにのめり込み、大学に行かずジャズばっかりやっていた父は、 キャバレーやダンスホールなどでアルバイトをするようになり、 やがて当時関西では人気ナンバーワンのオーケストラから誘われ、プロとしてデビューする。 ジャズ誌の老舗「スゥイングジャーナル」に写真付きで紹介されたことがある、 というのが父の昔からの自慢だが、 実は家族の誰もそれを見たことが無い。これは怪しい。 ただ、私がまだ本当に小さい頃、父がテレビに出ていた事だけは覚えている。 いや、出ているというよりは、歌っている歌手の後ろで、 運が良ければちょこっとだけ見える、という感じだけど。 それと、ものすごく狭い家なのに、 売れない芸人さんを度々連れてきて徹夜でマージャンするものだから、 ガラス戸を隔てた隣に寝ていた私たち兄妹は、 いつも眠れずに大人の会話を聞いていた。 今考えると子供にとっては劣悪な環境だったが、それなりに楽しかった。 ただ、やっぱり人間は愚かで、 ジャズマンとしてそこそこ有名になったり、そこそこ小金持ちになったりして、 もっともっと、と欲が出て、父は商売に手を出した。 でも結局父はジャズマンにはなれたけど、商売人にはなれず、 商売はことごとく失敗し、後には借金と、音楽しか残らなかった。 今考えると、母がそんな父とうまくいかないのは当たり前だ。 だって、母はジャズマンの父に恋をして結婚したんだから。 だから、商売に向いてない自分に気付かず、 ワンマンに事を進める父が理解できなかったんだと思う。 商売には向いていない、と父がやっと気付いたのは最近だ。 でも、父は本当に運がいい。音楽は彼を見放さなかった。 もうすっかり老人の父でも、プロ時代の顔がまだ効くらしく、 ミュージシャン仲間を何人か集めて、また細々と音楽の仕事をしている。 売れない歌手のステージのバックバンド。 肺活量が少なくなった父は、一応バンマス(バンドマスター)だ。 急ごしらえのオーケストラの前に立って、彼流で指揮棒を振っている。 それを見て、「哀れなやつ」と思う人は多いだろう。 でも、私は心から、父に音楽があってよかった、と思う。 商売に失敗して、一時はノイローゼのようになった父が、 今こうして元気でいられるのは、紛れもなく音楽のおかげだ。 父が商売を始めた時、どうしてもジャズを続けたい、と地元で結成した アマチュアのジャズオーケストラが、 今でも年に何度か市民ホールなどでコンサートを行なっている。 そこではまだ父は現役だ。 顔を真っ赤にしながらアルトサックスを操っている。 そんな父の事を娘は「音楽の大先生」と言う。 そして、私がたまに夕飯を作りながら「Take the A train」を無意識に口ずさむと、 「あ、それおじいちゃんの曲」と喜んで、一緒に口ずさんでいる。 父のオーケストラがいつもコンサートの一番最後に演奏する曲だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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