検事の本懐 柚月裕子
佐方貞人が弁護士として活躍する「最後の証人」よりも前、検察官だったころを描く連作短編集。検事として優秀で、いずれ検察の正義を背負うだろうと佐方に期待していた筒井の姿が微笑ましく、それが叶わぬと知っているからこそ切ない。次作が弁護士でも検事でも、どちらでもよいから楽しみ。----------------------------・樹を見る警察学校の同期でライバルだった佐野茂は県警本部の刑事部長となり、同じ警視正だが、役職の重みとしては劣る米崎東警察署所長の南場輝久の管轄で起きた連続放火事件が未解決なことを会議のたびに責め立てる。胃痛に襲われながらも犯人の身柄をあげようと躍起になる南場ら東署。容疑者として名が挙がった新井友則、別件逮捕の後に裏付けを取ろうとし、佐野の妨害を避けるために、南場は郷里が同じ米崎地検刑事部副部長の筒井に家宅捜索令状取得を頼む。新井の件は任官して3年目、米崎地検に来たばかりだという佐方貞人が担当することに。放火犯の証拠は出、新井自身も17件の放火は自供。だが、唯一被害者が出た13件目のみ否認。南場らは少しでも罪を軽くするための悪あがきだとするが、他の様子からその13件目に違和感を抱いた佐方は、不倫の果てに放火した13件目の真犯人・安森礼子にたどり着く。新井の逮捕があったから、安森にも辿りつけたと、東署が解決したようなものだと、佐方は警察に手柄を譲る。筒井も出世だけにこだわる佐野に対していい薬になるから(そうしろ)と南場に声をかける。また、筒井は条件やデータだけではなく、事件を起こす人間を見るやつだと佐方を評価し、彼の将来を楽しみだと言う。・罪を押す筒井(40過ぎ)の同期、佐方の東京地検時代の元上司・南部哲夫(現静岡地検刑事部長)は、佐方が米崎地検に配属になったことを当たりくじを引いたと筒井に伝える。佐方は任官2年目の新人。佐方の事務官となるのは増田陽二(32)。筒井の立会い事務官は津川慎二。3年前に筒井が起訴し、有罪となった窃盗などの常習犯で、出所したその日に窃盗罪捕まり、警察から送致されてきた小野辰二郎(54)の担当を完落ちしているしすぐ終わるだろうと佐方に。だが、小野が認めているにもかかわらず、佐方は彼の犯行に疑問を持ち、調べなおす。分かりきっている事件に時間をかけず、さっさと片付けろと言う森脇部長の言葉も納得しながら、筒井は配点された事件を納得いくまで調べたいという佐方に現場時代の自分を思い出し、ぎりぎりまで待つことに。取り調べに異例の同席した筒井はそこで、小野の半生、最後だという息子からの手紙、小野が少年をかばっていたこと、少年が脅し取られた時計と同じ時計を万引きしたことを知る。佐方は少年がやり直すためには、罪がまっとうに裁かれなければいけないと小野を諭す。警察の落ち度もあったが、あわや冤罪となっていたと森脇、筒井はそれぞれ自分だったら常習犯であった小野の犯行に疑問を持って追求しただろうかと自問する。筒井は、他人の内面を読み取れ、深い人間性を持っている佐方が「優秀」だと認め、法だけで裁くものではなく、人として裁く検察の正義を背負える器だと考える。・恩を返す高校2年の3月、12年前に別れたきりの同級生・天根弥生から連絡を受けた佐方は、彼女が結婚目前にして、中学生時代に巻き込まれた時のビデオで呉西署の警官・勝野(44)から強請られていると助けを求められる。母子家庭で育ち、淋しさから一時素行が荒れていた弥生は、友人に裏切られ、その後転校した高校で佐方と出会う。優秀だが、孤高の存在だった佐方は、母親は子供のころに病気で他界、父親は広島市で弁護士事務所を開業していたが、逮捕され、有罪判決を受けていると噂が。人と距離を置く弥生は佐方と同じく昼休みなどに屋上にいることも多く、佐方と話すように。だが、2人が一緒にいた2年の夏休み前日に不良グループに絡まれ、弥生は男子生徒を刺してしまう。佐方は停学、弥生は放校処分となる。佐方は弥生をかばった面もあったが、弥生の声がなければ父親が逮捕されてからの鬱積から自分が男子生徒らを刺していたと、彼女に恩を感じ、いつか借りを返すと引っ越す弥生に約束していたのだ。佐方が勝野の情報を得たのは司法修習生時代同期で広島地検にいる木浦亨から。佐方は弥生を強請っているテープをたてに勝野に弥生から手を引き、警察を辞めるように要求。いくら警察内部の弱みも握っているからといって、そうしなければ自分が勝野を起訴すると自身の身分も明かす。感謝する弥生に佐方は何か困ったらいつでも連絡をと言い、死んだ父親の口癖「借りを返せば、恩が返せるわけじゃない」と思うのだった。・拳を握る山口地検の事務官・加東は、先崎検事(40代半ば)と一緒に東京地検特捜部が乗り出している、中経事業団とある与党議員の贈収賄容疑の捜査の応援に行くことに。米崎地検からの応援は若い検事・佐方と事務官・増田。行方をくらました参考人・葛巻の伯父・岩舘の取り調べをすることになったのは、佐方と、増田がヘルニアが悪化し入院したため、加東に。上部は(葛巻は否認していたが)彼が金を届けたというシナリオを描き、捜査を強行しようとする。だが、岩舘を担当し、岩舘の病の母を看取れるよう配慮した佐方は、岩舘の願いもあって葛巻の事情聴取もすることに。上部のシナリオに逆らい、葛巻の無実を明らかにした佐方は捜査から外されるが、真の金の受け渡しルートではないかと思われる人物を残して去る。その後、佐方が目を付けていたルートが当たりで、事件を立件できる。加東は、使えない奴としてラインから外された佐方だが、人として参考人と向き合った彼が岩舘を動かし、葛巻が再び事情聴取を受けることになったと、結果を出せれば無関係な人間を苦しめてもいいというような捜査のやり方に疑問を持ち、彼が外されたことに強い怒りを覚える。筋読みありきで見立て捜査に走り、事実を捻じ曲げようとしていた検察・・・そんな事件、実際あったような。・本懐を知るニュース週刊誌の専属ライター・兼先守は、特集のネタとして法を駆使して身内をかばうため、実刑をくらうことがめったにない弁護士のなかで、過去に実刑をくらったことがある弁護士がいたと取材を始める。業務上横領で逮捕され、実刑をくらったのは佐方陽世(逮捕当時47)。顧問弁護士を務めていた小田嶋建設の創業者・隆一朗の死後、彼の資産の一部が陽世の口座に移されていたことが発覚、業務上横領の罪で逮捕されたのだ。金は私財を処分して返還したが、遺族の処罰感情が大きかったこと、陽世が一貫して黙秘を貫き通したことの心証の悪さから実刑判決を受けた。陽世を知る人々はみな、何かの間違いだと言い、隆一朗の息子・一洋は陽世が子供のころ大病を患った時に、父親同士が友人だった縁から隆一朗が金を貸したのに、恩をあだで返したと憤る。現在、検事になっているという息子・貞人にも取材する兼先だったが、貞人はするりとかわし、去る。一洋の話から、いまだに隆一朗と陽世の墓に参っている元女子社員・清水亮子がいると聞き、取材する兼先。亮子の娘・沙代の言葉から、沙代が隆一朗の子供だと気付く。陽世は隆一朗から頼まれ、隠し子である沙代、亮子が生活に困らぬよう、金を秘密裏に託していた。遺族はそのことを知らなかったため、業務上横領で訴えられ、事実を秘するため、横領の汚名を着ても黙秘を貫いた陽世は出所前に病で死亡。返還する金は私財を処分、彼女らへ渡す隆一朗からの最後の金は、父から真相を伝えられ、託された当時高校3年生の貞人が渡しに来ていた。貞人は母の死後、陽世の両親に預けられている。父親逮捕当時15歳。人間を見る。裏の事情を知ろうとする佐方の原点。父親が人生をかけて恩を返そうとしたことを知った貞人、このことが後の生き方に強く影響を与えており、「恩を返す」の行動にもつながっている。佐方貞人:昭和42年生まれ、広島県出身。北海道大学卒業。初任地は東京地検。その後、米崎地検に配属。「本懐を知る」当時27,8歳。