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テーマ:TVで観た映画(3917)
カテゴリ:テレビ、ドラマもたまには
昨日は久しぶりに、『嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』を観たけれど、やっぱりいいですね。『クレしん』本来のおバカさが若干足りないけれど、それでもこれはこれでアリだと思います。
えー、今回は映画の話を。と言っても、結構な頻度で映画の話題を書いているような気もしますが、過去ログを見ても分かるように、趣味に偏りがあるんで、ビックバジェットはもちろんのこと、話題作もあんまり観ないんですよね。 それでも、気になる作品は観るんで、今回はその辺りの映画を。 『チョコレート』は人種差別や死刑制度を問題としているように見せかけながら、欲望ギラギラのおっさんや妥協へと依存する黒人女性などを冷めた目線で描き、「現実」の厳しさをこれでもかと淡々と描写することで、ギリギリまで追い詰められて暴発寸前の関係に、ラストで「許し」を与えるのに、原題が『MONSTER'S BALL』だという、「あぁ、この監督は底意地が悪いというか、性格がヒネくれているんだな」と思わせてくれて、嬉しかったりします。 極限まで削ぎ落とされた心理描写、暗喩の多用、演技のみの表現と、時間一杯まで気の抜けないのも悪くない。もちろん、ハル・ベリーの素晴らしい肢体も。 邦題の『チョコレート』もいいですね。甘美で全幅の恋愛物語を期待して観にきた人達の願望を木っ端微塵に打ち砕く、イヤラシサ。 似たようなシニカルさに貫かれてはいるものの、戯画化という視線から描いていためどことなく明るく、それでいて『チョコレート』と反対方向のアイロニカルな展開で同じ所に着地する、ケビン・スペイシーによるオOニー映画『アメリカン・ビューティー』もステキです。甘い部分も結構ありますけど、最後のモノローグが良かったのでチャラ。 天下無敵のゴスっ娘ソーラ・バーチ、勘違いから同性愛をカミングアウトしてそれを糊塗するため殺人に手を染め「日常」に帰還するフィッツ大佐役のクリス・クーパーの好演が光る。角度によってはブサイクに見えるミーナ・スヴァーリ(『恋は負けない』ではゴスっ娘でしたね。『アメパイ』のジェイソン・ビッグスと共演。こっちも好き。)、ウェス・ベントリーもなかなか。 冷たく乾いたタッチで描かれるこの手の映画には本当に弱いなぁ。孤独感、喪失感、焦燥感、ドライな感覚などが溢れる山田太一作品も好きですしね。ただ、「この世は美に満ち溢れている」という程度のニヒリズムのその先を、そろそろ観たい気もします。 そうそう、K・スペイシーの妄想シーンでの映像、セット、シュチュエーションの凝ったヘボさも、涙なしには観られません。 これらはどちらも、身も蓋もないことを、うまく脚本にのせて描いているので、本編終了まで飽きません。 ミュージカルシーンが失笑ものだし、お得意の悲愴=皮相さのために露悪的(悪趣味とも言う)ではあるけれど、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』も悪くは、ない。 ただ、救いの物語を描いているのは分かってるんで、物語の根幹を突き崩すようなラストの字幕はいりません。ミュージカルシーンを捨ててまでこだわったドキュメンタリー調のカメラワーク(要するに、視点と距離)も、ラストの「主観」一発で崩壊です。 やはり、トリアーでは、『エピデミック~伝染病』とか『エレメント・オブ・クライム』とか初期作品の方が好きかな。 さて、前置きはそこそこに本題です。 本日の午後で終わってしまいましたが、GyaOにてシャーリーズ・セロン、クリスティーナ・リッチ主演の『モンスター』が配信中だったので、この機会に観てみた。 「なぜ、愛を知ってしまったのだろう」というキャッチコピーに全てが集約されているように、初めて知った愛によって、翻弄され、その不器用さゆえに飲み込まれていく様が描かれて、ありきたりな恋愛悲劇ながら、よくまとまっています。 ただ、本当のティリア・ムーア(名前が使えなかったようだ。そりゃ、そうだろうな。)とは違った小悪魔的な無垢を持ったセルビーを設定するあたりは実話とはいえ、映画ですからね。 「無知の涙」の純粋性を前面に押し出しているあたりに、監督の「人の良さ」を感じる。もっと淡々と、突き放して描いてもいいようなものだが、そうはしない所にも、「誠実さ」がみえる。 それ故、犯罪者アイリーンとの距離は、視線が安定しない所もあるけれど、許容範囲(注1)でしょう。 音楽の使い方は抜群にうまいなぁ。 個人的には、アイリーンが職探しをするシーンが印象深いです。 娼婦から脱却して「まともな」職業に就き自己の理想を実現するため、知的職業に就職しようと試みるのだが、もはやその様は滑稽なだけにしか見えない。 ホワイト・トラッシュが現実と対峙したとき、「夢と自分を信じろ」なんていうのはスローガン以上の効果は持たないのかもしれない。 地に足の着かない理想は無惨なだけだし、それを助長するようなマッチポンプも気色悪い。自意識なんてものは、もっとグロテスクだし、厄介なもののはず。その意味では、本作はやはり小奇麗にまとめ過ぎているのかもしれないなと思う。 ドキュメンタリーの『アイリーン 「モンスター」と呼ばれた女』も観たので、そちらもと思ったが、眠くなってきたので、つづく・・・。 注1: 『罪と罰』だって、ラスコーリニコフの内的苦悩、挙句の果てには高潔で可憐な娼婦とどうだとかばかりで、金貸しをしていただけで殺される老婆の無念や苦しみはどうなるんだといったことがあるわけだけれども、「政治と文芸」「倫理と感動」は別のものというのが近代文芸理論の原則なので、本作では気にならないほどの視点のブレがあるだけだから、これはこれでいい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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