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カテゴリ:テレビ、ドラマもたまには
1959年(昭和34年)、水木しげるは兎月書房発行の怪奇短編集『妖奇伝』第一号に「幽霊一家」を掲載した。続く「墓場鬼太郎」は『妖奇伝』第二号に掲載された。
しかし、不人気であった『妖奇伝』はこの号をもって廃刊となる。 それでも好評であった「鬼太郎」ものだけは、怪奇短編集『墓場鬼太郎』に「地獄の片道切符」「下宿屋」「あう時はいつも死人」として掲載された。 ところが、三巻が上梓された後、経営難の兎月との間で原稿料の支払いをめぐり関係が悪化、その後水木は三洋社から『鬼太郎夜話』を発表した。そこで兎月では竹内寛行が『墓場鬼太郎』を引き継いで描いていくことになる。この竹内版『墓場鬼太郎』もヒット作となり、以後、十九巻まで巻数を重ねた。 水木の「鬼太郎」ものはその後も、和解した兎月、佐藤プロ、東考社と編まれ、そして少年誌への登場となる。 これが大まかな鬼太郎の変遷。 伊藤正美作の『ハカバキタロー』に着想を得た「墓場鬼太郎」は、上記のように短編集に掲載されており、武良茂、伊藤正樹、初音三郎、佐野栄、南竜二、西正彦、谷川きよし、瓦町三郎、本堂三郎、竹内八郎(竹内寛行)、松野たけし、中野進といったいわゆる兎月の「貸本B面作家」とのカップリングだった。 この面々からも分かるように、鬼太郎は今の人間の味方の可愛い少年ではなく、関わった人間に奇妙な結末をもたらす不吉な少年として描かれていた。 そして、その墓場鬼太郎を描いたアニメが『墓場鬼太郎』である。 さて、これがなかなか秀逸なデキ。 水木しげる独特の世界観を描こうとする意志が、色彩や音響など映像の端々から感じられ、原作に忠実ながらアニメとしての独自性も引き出している。OPでの原作のコマを使った遊びも、楽曲も、作品全体の雰囲気を壊してないので素晴らしい。 鬼太郎が野沢雅子、つるんとクリオネみたいに誕生した目玉親父が、その途端に郷里大輔から田の中勇の声に変わってと、オリジナルの声優陣で感激。ねずみ男も大塚周夫のようだ。 カラフルな髑髏の並ぶ地獄を猫背で駆け抜ける出っ歯な鬼太郎の活躍にこれからも期待。ケケケ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年01月24日 20時16分31秒
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