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天使になれない

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2000年2月
大きなトランクを持ち、単身留学する主人を、
家の前のバス停で、子供と一緒に見送りました。


ばいばい・・・と手を振り、バスが発車した時から、
そこから1年間はあっという間でした。


娘がまだ幼稚園だったので、母親は毎日幼稚園に送迎をしなくてはいけません。
そのため、幼稚園ママは時間の制約が多く、
当然、私の毎日はあわただいものでした。


それでも、娘が帰宅すると、薫と3人で自転車に乗る練習をさせたりもしましたっけ。


ご飯は薫担当、その他の家事は私が担当。
お中元やお歳暮も二人で行って決める。


それと、この年、娘は受験生だったから、
説明会、テスト、願書、写真撮影、試験日に着る服の用意、面接の準備、
やることはいくらでもあって。
・・・・そういう意味でも、一年はあっという間に過ぎました。



よく、彼の前では「女」、家族の前では「母」になるという人が多いけれど・・・


そのころの私は、子供達がまだ手のかかる時期だったし、
薫自身も5歳児だし、
子連れの私の日常の中に、薫が入ってきた形だったから、
私は、薫と一緒にいる時、自分を「母」「女」と演じ分けてはいませんでした。


子供達の前でも薫とくっついていたし、
薫と私の間に娘がギュウギュウ割り込んできたし、笑
ほんとにそのまんま、
彼も、私も、娘も、息子も、そのまんまでした。


この、「そのまんま」の自然体なところ・・・・
これも、たぶん、私たち4人が長く続いている理由のひとつだと思います。



そういえば、主人の前にいるときの私は、もちろんよそ行きの私でした。
真面目で仕事顔で、あまり笑いません。


これは、実家で、父がいるときの態度と同じです。
父の前では、母も私も妹たちも緊張していました。
そして、父がいない時は皆で自然体で笑います。


もともと、主人がいるときはon、主人のいない時はoff。
この使い分けが最初から確立していたので、
薫はoffに分類されるということで、
子供達も私も、なんの違和感もなく、
普段の生活に薫を迎え入れることができたのです。


主人不在の日本で、私たち4人はひとつになって、
かけがえのない1年を過ごしました。
娘の受験も無事、4人で乗り切りましたしね。



受験が終わった11月半ば。
秋がすっかり深まる頃。
主人の帰国まであと3ヶ月となりました。





私は主人に、電話で、離婚したいと伝えました。





2006年06月21日





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最終更新日  2008.06.19 22:55:33
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