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カテゴリ:コーカサス旅行記
旅行時期:2018年10月
5日目 ムツヘタからトビリシに戻り市内観光です。 =====ガイド===== トビリシの街は、イベリアのワフタング・ゴルガサリ王が最初にこの場所を発見し5世紀にできた。 伝説によると、彼は自分の鷹を連れて狩りに来た。その鷹が鳥を追いかけて飛んでいったため、それを追っていったら、鷹も鳥も熱いお湯に落ちて死んでいた。彼は、そのことによってここに湧き出る温泉を発見し、町を作ることを命じた。トビリシの「リシ」はジョージア語で「熱い」という意味。 そしてこの場所を首都にしたが、その理由は、街が3つの山に囲まれて、4本の川があるため防衛に都合がよかったため。 山の上に城壁が残っているが、これはナリカラ要塞。4世紀にはあったため、ワフタング・ゴルガサリ王は、この町を首都としてからさらに強化拡大していった。ナリカラ要塞は長さが4キロ、高さは25m、門が7つあり、中には300の家族が住んでいた。しかし、保管されていた爆弾などの武器が爆発して壊れてしまった。その後20世紀の終わりには、教会が建てられ現在に至っている。「ナリカラ」という名前は「侵略し辛い」という意味がある。 丘の上に建っている女性の像は「ジョージアの母」と呼ばれるもので、剣とワイングラスをもっている。剣で戦い、ワインでお客をもてなすという意味。旧ソ連時代の像で、当時は木造だったが、今はアルミでつくられている。高さは20mほど。 ムトゥクヴァリ川に架かるメテヒ橋では、13世紀にモンゴル人に侵略されたときに、踏み絵のようなものがされたらしい。モンゴル人が聖マリアなどのイコンを置いて、それを踏むか死ぬか選ばせた。結果、数万人の人が断って殺された。それにより、この川は血で赤く染まった。 =============== つづきを読む » お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年05月03日 11時27分07秒
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