フィラデルフィア美術館展 麻田浩展
京都市美術館へ「フィラデルフィア美術館展」をそして京都国立近代美術館へ「麻田浩展」を見に行ってきました。フィラデルフィア美術館展は混んでることを覚悟で行きましたが、まだ会期終了まで期間があるせいか、平日だからか意外とすいていました。印象派から20世紀の美術でコロー、クールベ、マネなど写実主義の作品やモネやドガなど印象派の作品はやはり何度観ても飽きないベーシックで普遍的な美しさがありますね。そしてキュビズムやエコール・ド・パリの20世紀美術の作家、ピカソ、カンディンスキー、マティス、シャガール、デュシャン、ルオーなどはまさしく芸大生時代に流行ったというか、憧れていた作家たちの作品です。まるで流行の音楽を久しぶりに耳にして当時を思い出すように、自分の芸大生時代を思い出しました。懐かしいなぁ。。。今はいろいろな作品を見てやはり好みも若干変わってきたりしていますが、やっぱり多感な頃に影響を受けた作品というのはドキドキさせてくれます。さらに、シュルレアリスム。キリコとか、ミロとかマグリット。模写をしたりして影響をうけた作品たちです。ちょっと頭をひねるような不可視な作品に虜になっていました。最後はアメリカ美術でした。アメリカ美術は殆ど知らなくてジョージア・オキーフしか知りませんでした。オキーフは好きな女流画家の一人です。ピエール=オーギュスト・ルノワール《ルグラン嬢の肖像》1875年Philadelphia Museum of Art,The Henry P. McIlhenny Collectionin memory of Frances P. McIlhenny, 1986 そしてそのまま向かいの国立近代美術館へ。麻田浩さんという京都の作家さんの没後10年展が開催されていました。実はこの麻田さんは私が勤務している会社の先輩なんです。といっても年代が違うのですが。この方の作品は初めて拝見しましたが、第一印象は「病んでいる!」と感じました。日本画家の父と兄という環境で育ち、ヨーロッパへも滞在され画家として恵まれた環境ではないかと思うのですが、作品は無機質な感じで暗さと不気味さと気持ち悪さでいっぱいでした。生命力のない、退廃的で死の世界を感じさせるものが多かったです。だけどなぜだか気持ち悪いけど見たいという欲望にかられます。見てしまったら恐ろしい、でも見てみたい死の世界。足を踏み入れたらもう戻ってこれないんだろうな。。とわかっていながらもぼーっとしていたら引き寄せられてしまいそう。。あの画面の奥に輝く光の中へ入ってみたい。入って行ったら気持ちがいいだろうな~。現実のつらいことから逃れられるだろうな~。という衝動にかられそうになりながら、「ダメダメ!私はまだまだここで生きなきゃ!」とふっと現実に引き戻される。きっと弱ってる状態の私だったら戻ってこれないかもしれない。。。なんて思いながら死の世界と現実の世界との境を描いているように私には感じられました。実際麻田浩さんはご自身のアトリエで自殺されています。絶筆(亡くなる最後の作品)は未完成でしたが、細い木が天に向かってねじれながら伸びていっている絵で必死でわずかな生命力と希望を振り絞って自身をキャンバスに表現しようとされていたのかな。。。と思いました。とにかく、暗い雰囲気の作品でしたが、なぜだか見終わった後の後味が悪くない。なんだかすっきりとした気持ちでした。私は死に対してネガティブなイメージはありません。美しいものだと思っています。まだ死にたくないですけどね・・良い作品と出逢えました。麻田浩《地・洪水のあと》 1985-86年 京都国立近代美術館蔵麻田浩《蕩児の帰宅(トリプティックのための)》 1988年 麻田浩《沼・月》 1997年