北朝鮮拉致事件はなぜ17年も放置されたのか
*この日記は「異見9/23」と同じです。北朝鮮による拉致事件が我が国ではじめて報道されたのは、1980年1月7日、産経新聞の一面トップ記事「アベック三組ナゾの蒸発」で阿部雅美記者のスクープであった。1978年の夏に福井、新潟、鹿児島で発生したカップル三組の連続失踪と富山で起きた拉致未遂事件を名指しこそしなかったものの、北朝鮮の犯行であることを示唆して報道した。しかし、他のマスコミからは黙殺され、ほとんど話題にもならなかった。(この報道は17年後の1997年に新聞協会賞を受賞した)それは、この当時のマスコミ界には、社会主義への共感と、「過去」の贖罪意識、朝鮮総連への恐怖感が入り混じった、「北朝鮮タブーという空気」が相当強くあったためと思われる。その後、1988年3月26日共産党の橋本敦 参議院議員が秘書の兵本達吉氏の調査をもとに、参議院予算委員会で「北朝鮮による拉致疑惑」を質問している。このとき、国家公安委員長だった梶山静六氏が「昭和53年以来の一連のアベック行方不明事犯、恐らくは北朝鮮による拉致の疑いが十分に濃厚でございます。」と答弁し、我が国政府が北朝鮮による拉致事件である可能性にはじめて言及した。しかし、この発言もマスコミはほとんど無視し、新聞二紙がベタ記事を載せただけであった。さらに、8年が経過した1996年12月、現代コリア研究所の佐藤勝巳所長が現代コリアのホームページに横田めぐみさんの拉致疑惑を掲載し、その情報をもとに当時新進党の代議士だった西村真悟氏が、1997年2月3日衆議院予算委員会で「北朝鮮工作組織による日本人誘拐拉致」に関する質問を行い、当時の橋本首相は「情報の収集につとめている」と答弁し、その後の5月に、政府はようやく北朝鮮の日本人拉致疑惑が「7件10人である」と公式に認めたのである。問題なのは、1988年に梶山静六国家公安委員長が「一連のアベック行方不明事件は北朝鮮による拉致の疑いが濃厚」と国会で答弁し、公安当局も捜査していたにもかかわらず、政府とマスコミは9年間もこの事件を放置していたことである。たしかに時期も悪かった。1990年代は内閣はコロコロ変わり、役人たちも面倒な問題はすべて先送りしていた。しかし、それにしても外国の工作機関に日本国民が拉致されるなどということは、重大な主権と人権の侵害であり、普通の国なら看過できるものではない。産経新聞のスクープから、政府やマスコミがこの問題を正面から取上げるのに17年を要したのはなぜだろうか。やはり、それは 7年間に及んだ米国軍事占領下の「現行憲法と東京裁判史観」による徹底した洗脳が、政府とマスコミおよび日本国民から「国家主権を守ろうとする意識」を奪い去ってしまったためであるといえよう。(日本戦略研究所)