「書」 の持つ威力! 中国人書家のレッスンから
NHK 「奇跡のレッスン」 を観た。中国人書家、熊峰(ゆうほう)さんが広島県熊野東中学、熊野中学の書道部生徒を6回に渡り教えた番組(2020年2月20日放映)の再放送である。改めてこの年にして初めて、と云っていいかもだけど、「書」 の持つ凄さを感じ取らせて頂いたものだ。そして改めて改めて思う。世界広しと云えども、自分達が使う ”言語そのもの” を芸術に迄昇華させる事は、漢字圏を除いて他には無い、と云う事を。これは当然大いに誇って良い事だ。他文化圏とは大きく ”出だし” から優位に立っていると云って間違いないからだ。世界で大多数を占めているアルファベットが、アラビア語が、芸術に迄昇華されて使用されているか? 答えは勿論ノーだ(でも一応美しく見易く書く、と云う概念はあると聞く)。だからこそ ”漢字” を発明した古代中国は偉大であった。彼らはそれでこそ、自らを 「大中華」 と認識して他民族を蔑む一助とした事は想像に難くないだろう。↑ 尤もそれは漢字を使える極く々少数の支配階級に限られていた事だろうが、その心情は下層民に迄伝播していった。それが今の習近平に帰結される、国土の広大さ、人口の多さを後ろ立てにする 「中華思想」 政策だが、共産主義国となった中国は勿論昔日の ”中華” では全くない事が悩ましい処だろうな。『中国では書道の事を 「書法」 といい、漢字を理解し様々な書体を書く技術 「技」 を重んじています。 それに対して日本の書道は 「心」 を重んじてその二つを融合させようというのが熊峰(ゆうほう)さんの考え方』 とある様に、日本の進んできた道は、師匠を鵜呑みにせず、”様々に工夫して” 「日本文化」 を作り上げて云った事を大評価すべきでしょうかね。漢字だけの世界では読み辛いとして平仮名を誕生させ、その事は中国の古代文化人が嗜んだ 「漢詩」 をより短い 「短歌」 「俳句」 へと、昇華させる事に誘った。日本ホルホルはみっともない事は百も承知で、言わせて貰うが、短歌、俳句に至っては、言いたい事を出来うる限りの短詩型で納めると云う、この精神作業は誠にもって ”感服” と言わざるを得ない(世界中何処にも有りはしない)。そしてこの短詩型の作業が、「書」 と酷似している事に、私は冒頭の番組を観て気が付いたのだ。最終日のレッスンは体育館で、熊峰(ゆうほう)さんが提示する、熊野町が2018,7に経験した西日本豪雨をテーマに大きな用紙に左から 「災害」 「復興」 「〇〇(失念した)」 に関連した、一人ひとりの生徒が書きたい文字を、順番に登壇して書いていったものだが、友達を豪雨で亡くした生徒は 「生命」 と、又他の生徒は 「希望」 と書き、「創造」 と書き、或いは 「熊野」 と書き、、、、まるで俳句より更に究極に短い精神作業であった!今思い出しても私は泣いている。最後に右端に朱で、先生の熊峰(ゆうほう)さんが 「書は力なり」 と書き上げた。真に 「書は力なり」 を感得させられた 「奇跡のレッスン」 であった。