同時通訳から「日本語」を改めて思う
今朝方の鳩山首相、訪米を締め括る記者会見の同時中継を見た。その時録画ではあるが、これに先立つオバマ大統領の演説が流れたのだが日本語の同時通訳付きであった。この同時通訳の日本語が今迄以上にハイスピードな感じで、オバマがせっかちな話振りなのか、「英会話」に疎くて比較が出来ないのだが、どうやらこう結論付けざるを得ないのでは? と思うに至った。それは、同じ内容を話すのに、英語と日本語では、日本語の方が余計に多くの時間が掛かる言語なのでは? という事。そりゃーそうさ、だって敬語の「、、、です」「、、、ます」に始まってその分だけ余分だろう、てな見解以外に、「敬語」を度外視しても、「文の構成」自体が英語より長いのか? という根本疑問。それ共単純に「英語」はよりスピーディーな言語なのか?そう云えば、鳩山首相は噛んで言い含める様な、良く聞き取れる話し方をされるし、私共の文化では、小さい時から、ゆっくり落ち着いて、相手に良く伝わる話し方を心掛ける様に、と教育されて来た。 もしかして、英語圏にはそんな教育が無い?この際だから、次の疑問も投げ掛けて置こう。日本語は世界にどんな風に「雰囲気」として捉えられているのだろうか?「中国語」はご存知の様にイントネーションの激しい言語だし、「韓国語」は韓流ドラマを観る迄は、私は実のとこ、偏見を抱いていたもんだ。それが、複数の韓流ドラマを字幕付きで観る内、一部云われている様にフランス語っぽい、という「印象」もあながち当たっていないとは言えないな、と迄格上げした。因みにフランス人は「フランス語」こそ世界一美しい言語だとの自負を昔から抱いていて、公用語である「英語」を格段に下に見て、世界での公の場でも、敢えてフランス語で喋る御仁も居るとの、事・・・