カテゴリ:こころの森
この世に生を享けて、さて記憶が始まったのはいつのことだったか。最近は胎児のころの記憶や、おかあさんのお腹の中に入ってきたときのことを話す子までいるそうだから、ぼくの場合など記録しておくほどのこともなさそうだが、思い出したからメモ代わりに。 ぼくの始まりは、けっこう悲惨なものだった。保育園時代、それもかなり小さなときだ。ホールの片隅にある小さな檻の中にぼくはいた。鉄製だったかそれともプラスチック製かそこまでは覚えていないけれど、格子状のパイプをガタガタと揺らして、外へ出してくれと訴えていた。外に見えた風景を今でもかなり鮮明に覚えている。人生の始まりがこれでは、少しひねくれた性格になっても仕方がないかもしれない。 どうして檻の中に入れられたものだろうか。なにか悪さをしたとしても、乳幼児への体罰などがまかり通っていたのか。理解に苦しんでしまう。とりあえずぼくは、自由になりたかった。 それがきっかけとなったのかは知らないが、今日まで自由、自由と叫び続けて生きてきた。カメラマンになろうとしたのも、石垣島に住もうと決めたのも、同じころ結婚もしてしまえと選んだのも、すべて自分自身の自由意志を尊重してのことだった。自分の人生だもの、誰に左右されることもなく自分の足で歩け。授かった3人の子にも同じように言い続けた。 でも、自由とは。好き勝手にやってきて、まだ自由を求めているのか。ぼくは自由ではなかったんだろうか。どうやら好き放題と自由を取り違えていたようだ。まさに、あの檻の中から出たいと願った、それこそが自由だったと、今になって思う。そうだ、今は自ら作り上げた檻の中に、自分で自分を閉じ込めている。日々訪れるもろもろのことに惑わされ、心が自由な解放を求めていることを無視し続けてきた。長い間そんなぼくだったと気づいて、ようやく檻の扉に掛かった錠に鍵を差し込むときがきた。メモ代わりに言葉を並べながら、そんな予感に心がすこし震えている。きっと、年を取ったんだな、こんな気持ちになるなんて。そう思う自分というものを感じているこの意識は、あの檻の中から始まったものと同じなんだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Oct 26, 2007 12:36:02 PM
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