カテゴリ:こころの森
夢みたものは・・・ 立原道造 夢みたものは ひとつの幸福 ねがったものは ひとつの愛 山なみのあちらにも しずかな村がある 明るい日曜日の 青い空がある 日傘をさした 田舎の娘らが 着かざって 唄をうたっている 大きなまるい輪をかいて 田舎の娘らが 踊をおどっている 告げて うたっているのは 青い翼の一羽の 小鳥 低い枝で うたっている 夢みたものは ひとつの愛 ねがったものは ひとつの幸福 それらはすべてここに ある と ぼくがまだ中学生だったころ、グループサウンズというのが流行って、女の子たちがキャーキャーと黄色い声で毎日のように話題にしていた。もちろん男のぼくがそんな輪の中に入ることはあるはずもなかったが、タイガースの「青い鳥」は好きだった。ジュリーの歌声に透明な響きを感じて、それがぼくの中にしみ込んでいたんだろうと、今ならそう思える。 青い鳥は もう二度と 帰っては来なかった ぼくには はかない初恋だった そうか、この歌は、初恋が破れた話だったのかと、これも今さら気づいている。当時は意味など考えてもいなかったようだ。声に憧れ、ひとりでよく口ずさんでいた。それでも廊下で好きな子にすれ違う瞬間などにはわざと、しかもなるべくさりげなく、「あ~おい~と~り~」と小さめに歌いながら歩いた。青い鳥を求めて気を引こうとしていたものか、それともただのかっこつけか、あの頃の気持ちが懐かしいばかりだが、どうやら女の子が気になりだした初々しい時代だったようだ。 あれからもう40年だ。恋心は健在だ、なんて言うと、世の中にバカにされそうだが、まんざらウソでもない。ぼくは青い鳥を求めつづけているのかも知れない。その青い鳥は、幸せはここにあるのだと、告げているというのに。 幸せは、いま、ここにある。ここ? どこだ。となりの部屋でヨシエどんがまだ眠っている、幸せそうに、布団にくるまって。それを見つめながら、そうだな、と、静かにうなずいてみた。みた、というのもおかしな話だけれど、ぼくには正直、なにが幸福なのか、なにが愛なのか、それを感じようとしてみてもよくわからない。それが、少し哀しい、気がする。 秘密の原っぱにいるたくさんの小鳥たちも、毎朝美しく澄んだ歌声でぼくを迎えてくれる。あのさえずりも、同じように告げているのか。 夢みたものは ひとつの愛 ねがったものは ひとつの幸福 それらはすべてここに ある と 言葉にするほどはっきりと、夢みても願ってもいないぼくは、生きているということは自ずと夢や願いを持たなければならないんだろうかと、ときに不思議な気持ちになり、ついにはよくわからなくなってしまう。念ずれば花開く。求めよ、されば得られん。などと言葉が浮かんできても、なぜか遠い国の話のようだ。あぁ、とため息をひとつ。幸せそうなヨシエどんを見ていると、ぼくも幸せになる。世界が幸せだと、ぼくもきっと幸せになる。でもどちらかと言うと、何が幸せなのかと、やっぱりわからない。青い鳥よ、ぼくはお前になりたいのかも、しれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Nov 2, 2007 10:06:57 AM
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