カテゴリ:小説
卒論のために書いていた一式を畳んだ。私は彼女のことを色々と思い出した。そういえば一度同じクラスになったことがあった。
「カズ君は私のこと覚えている?」 「うん、確か、3年生のとき一緒だったよね」 「そうそう、何回か席も隣同士になったりして」 「よく覚えているね。いやー・・うん、だいぶ忘れたなぁ」 そのときからそういえば私はカズ君と呼ばれていた。彼女だけでなく皆私のことを親しみをこめてカズ、と呼んでいた。私は全然嫌な気はしないでいた。 「カズ君はちっとも変わってないね」 「これでも結構苦労してきたんだけどね」 「そうなんだ。そんな感じには見えないけど」 気分はすっかり同窓会。懐かしさがこみ上げてきた。最近よくこんな風に昔を思い返すときが多い。 「自分も年をとったなぁ」 「あら、まだ全然若いじゃない。女は大変なのよ。お肌とか、化粧とか」 「そんなこと言われても分からないし」 周りから見ればカップルのようにでも見えたであろうか。今この場を佐伯君から見られたらと思うと気分が悪くなってきた。私は彼女が気分を害すのを見込んで聞き始めた。 「それで・・佐伯君がどうしたの」 「え、ええ。私、あんまり会ってなくて・・」 「浪人生だからね。会うのは確かに難しいかも」 「ええ、私も遠慮してて。だけどやっぱり私はあの人の彼女なんだから少しは会いたいじゃない?」 「浪人生にとって恋は禁物みたいなところがあるからね」 私は彼女を案じた。この人は今まで佐伯君が浪人している間ずっと彼女としてやってきたらしい。その苦労はいかほどのものだったかと考えると胸が痛む。 「ずっと続いているんだよね」 「ええ、でも山あり谷ありだったわ」 「そうだよね。佐伯君、だいぶ変わったでしょう?」 「ええ、彼は浪人生になって気が狂ってしまったわ。それでも私が見捨てなかったのは、やはり彼を想っているから」 「すごいね。それが本当の愛なんだと思う」 「でも、少し疲れちゃって。今年に入って益々会えなくなっちゃって」 「それはどうしようもないよ。佐伯君、今年こそ受かろうと必死だから」 「分かっている。分かってるんだけど・・・もう限界かもしれないの」 「え」 「今年受からなかったら私、彼と別れようと思っているの」 別れを切り出されたような気分になり、周りを見回して、小声になった。 「ど、どうして。こういうときこそ応援してあげなくちゃ」 「それはそうかもしれないけれど、私もいつまでも待てないの。よく我慢したほうだと思うわ」 今年で佐伯君は浪人して6年目。なるほど、彼女の言うことも一理ある。 「僕は今年、佐伯君がこっちに来たということもあって結構会っているんだ」 「それは何となく彼から聞いていたわ。だから色々とあなたに聞いておこうと思って」 「今の現状を?」 「ええ、色々と」 何なら場所を変えようとも思ったが、佐伯君を案じ、そうしてこの場にいたほうがいいのかとも思った。話が重たくなろうとも私は決して自分の家などには上げる気はなかった。 「カズ君、家はここから近いの?」 「まあ近いよ。でも家にはあげないよ」 「あらどうして、せっかく級友に会ったというのに」 「仮にもあなたは女性でしょう。そんなに簡単には家何かにはあげれないよ。ほら佐伯君のことも考えればなおさらで」 彼女は急に女の目に変わってこちらを見た。何か分かったらしい。 「カズ君、今彼女いるでしょう?」 「え」 「言わなくても分かるわよ。カズ君、前からそういうところはしっかりしていたから」 「うん、まあ。・・大学で知り合った人がいるよ」 女らしさを出した彼女はいやに美しく見えた。高校の頃から、それは可愛かったが年月を重ねたことでその美しさは大人らしさも加わっていた。そんな彼女を見るにつれ自分の彼女のことを案じたのも事実であった。この人には佐伯君がいる。肉の欲などもっての他だった。だが今の佐伯君には不釣り合いな気がいつまでもしていた。年月は過ぎていく、いつまでも人は待ってはくれない。どんなに浪人していても浪人生は浪人生なのだ。取り残されるものの身ははかなさを持ってほかない。 「佐伯君はそんなには変わってはいないよ。ただ環境が変わって今までに比べればだいぶ気合いが入っているみたい」 「そう」 「・・もうどれくらい会ってないの?」 「4月に入ってからは一度も。メールや電話はたまにするんだけれど」 「そっか」 つくづく罪な奴だと思った。こんな女性を待たせている佐伯君に対し腹立たしささえ感じた。だがその怒りをぶつけてみてもやりきれない思いだけが残る。どうしようもないのだ、そうして佐伯君が彼女とばかり会うのも気が引けるし、そんなことで受かるとは思えない。ただ放っておくのも違う気がするし、堂々巡り、何を言っても難しい。 「だから彼に会えない分、カズ君に色々聞いておこうと思って」 「俺もそこまでは会わないけれど。彼女に会うよりは幾分気分は揺るがないとは思うけど」 「私もそれは思う」 何だかこの人を抱きしめたいとすら思った。それくらいに不憫に感じ取れた。 その後しばらく彼女と話をした。主に佐伯君の話、それを色々と聞いて私は佐伯君のことも少し不憫に感じた。全ての結論の行き着く先はそこだった。全ては一つの結論に、ただ佐伯君に任せられた。もう彼に猶予はない、来年受からなければ彼女は去っていくという。このことを佐伯君に言うべきか悩んだが、 「彼には言わないで」 と彼女に釘をさされた。この問題は二人の問題で自分が首を出していいのもある程度の所までである。彼と彼女、そして男と女。ただ全ては二人にゆだねられている問題であることを感じ私は邪魔者ではあるまいかとも思った。けれど佐伯君の、そして二人の今後が案じられ、見守っていこうと考えた。その中で何か手助けが出来るのならば快く引き受けようと考えた。別れ際彼女に、 「また会おう」と言われた。それに私は、 「あまりそういうことは言わないほうがいい」と応じた。 「どうして?」 「また会おう、って次に期待するような言葉はどうも自分は苦手なんだ。何だか運が逃げて行くようで。佐伯君がああいう状態のうちはいやでも会うと思うからそういうことは言っちゃいけないよ」 「分かった」 喫茶店を出る頃にはすっかり日は落ちていた。相当話し込んだらしい。 「じゃあ私はここだから。カズ君、大人になったね」 「そうかな」 彼女は手を振り彼女が住んでいるマンションのほうに消えていった。 梅雨を越え、今年も夏がやってくる。暑くなってくると自然とあの蒸し暑さは蘇る。浪人生にとって、と考えれば勝負の夏。受験の山は夏休み、などと誰が考えついたのだろう。時期的には確かに丁度折り返し地点、とでも言う時期には差し掛かる。夏、本当に毎日行くのが億劫になるほどの暑さで、行けば大体汗ばんでしまう。予備校の中はそれ以上に熱気帯びていて皆この時期を乗り切ろうと躍起になっている。 佐伯君もそんな感じだった。 「今年は本当に調子が良いんだ。夏もしっかり乗り切るよ」 佐伯君はまるで自分自身に言い聞かせるように自分にメールを送ってきた。そんな内容のメールばかりである。不安にさせるような内容は一切ない。別に私にそんな気を遣わなくても、私がどう感じようが平気だとは思わないのであろうか。年月の差。友達というそのものを疑心暗鬼すら毎回させる。いや狂わされているのは自分のほうか。そうして夏の暑さもまた自分を佐伯君を少し狂わせているのではあるまいか。 佐伯君の成績は一向に落ちることはなかった。私は変に落ちるのではあるまいか、と思っていたがそんな心配をよそに佐伯君の成績は春先からキープされていた。私は、というと卒論がだいぶ仕上がりもうすぐ提出出来そうだった。就職先も決まって一安心していた時期だった。私は安定、浪人生は、佐伯君は不安定。 浪人生というものはどんなに成績が良かろうが安定などというものは存在しない。 「ちょっと来てほしいの」 とは川口さん。この前久しぶりに再会してそうしてこういった類に少し連絡を取り合っていた。私は男ならば別に構わないが仮にも女性、そして佐伯君の彼女ときているその人とはなるべく距離を置くべきだと悟っていた。ただこうして呼ばれれば断ることはできない。それが何だか自分なのだと思うと笑うしかいられなかった。 待ち合わせはこの前の喫茶店だった。そこに、見覚えのある人の姿もあった。その人を見、彼女を見、私が入っていいものかひどく案じられた。帰りたいとすら思ったが私はここまで来ておいてそれはないだろうと思いゆっくり扉を開けた。 「よう久しぶり」 その声の主はいつも通り痩せていて、いつもの口調。対面していた人も私に気づいたらしく、手を振っている。私は二人の間に座った。左に社会人、右に浪人生。 「今日は呼び出してごめんね」 「いや別に構わないけれど」 「今日はどうしても言いたいことがあって。それをあなたにも聞いてほしくて」 彼女がそういうと浪人生は咳払いをした。どうやら浪人生は私と彼女がこういった間柄になっていたことを知らないでいた。私はまずそのことに触れた。 「いや、佐伯君。彼女は、川口さんとはこの前偶然会ってね。いや、本当に偶然に」 「そうだったんだ」 「私が会いに行ったの。いや、多分ここにいるだろうと思ったから」 背筋が凍る気持ちだった。佐伯君、何も私は彼女をどうも思っていないのだよ、そして私にも彼女がいる。 「まあ高校の同級生だし、3人ともこっちにいるのだから会ってもしょうがないよ。別に俺に隠れて会っても何とも思わないよ。俺はこういう身分だし社会からは切断されているんだし」 嗚呼、と嘆いた。言ってはいけない、思ってはいけない、当の本人が、浪人についてそんなに自分の身分についてペラペラしゃべるべきでない。私は少しだけ失望感を感じた。 「佐伯君、それは違う。私はこの前川口さんに会って罪悪感すら感じたんだ。私は知らなかったのだ、君と川口さんがまだ付き合っていたなんて」 「まだ、とは失礼だな」 「ああ、すまない。自分は言葉が足りないんだ。とにかく謝るよ」 すると左にいた社会人がしっかりした口調で言い出した。 「別にそんな会うくらいで恋の感情を抱かれては自分もかなわないわ。会うくらいどうだっていいじゃない。男の人っていやね」 男二人は無言。こちらの人がいやに社会人に見えて、現にそうなのだけれど、すっかり大人。浪人生は子供?大学生は子供?いえいえそんなことはない。私と佐伯君は見合って笑った。どうやら子供だったらしい。それもいいじゃないか、と思った。 「で、話は?」 私は話題を変えた。この二人が相対していてそうして自分がここにいる。この現実は少し違和感を感じずにはいられない。彼女が話切り出した。 「あ、それなんだけど・・。カズ君には少し話したかもしれないけれど、あの話題、ねぇ、真剣に聞いてほしいの」 「何の話だよ」 「あなたが来年受からなかったらあなたと別れるっていう話」 ぎょっとした。やはりそのことか。危惧していた。あるいはその話ではないかと思っていた。そうして私以上に佐伯君のほうが驚いていた。 「どういうことだよ」 「どうもこうもないわ、そういうことよ」 「何で来年俺が受からなかったらそれで別れなきゃいけないんだよ」 「何でって・・あなた、私だって真剣に悩んでいるのよ。一体何年待たなければいけないの」 「俺だってしたくて浪人なんかしているわけじゃないよ。今年こそ、今年こそ、って思ってやっているんだ」 「もう5年よ。そして来年でやがて6年よ。もう待てないわ」 「ちょっと待てよ」 「いいえ、待たないわ。もうただ待つのなんて、そんなこと、耐えられない」 修羅場だった。どうしてここに自分が呼ばれたのか分からなかった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.04.10 06:23:41
コメント(0) | コメントを書く
[小説] カテゴリの最新記事
|
|