カテゴリ:小説
「とにかく行こう」
肝心の本陣、目的地まではだいぶ歩く必要がある。全国から来ているであろうこの人だかりの大方は受験生を持つ家族であろうか、いろんな方言が飛び交っている。デパートか何かの渋滞に似ている、人の群れは恐ろしく、わいわいと騒いでいて混雑で満足に歩けやしない。社会人は私の後ろになって気後れしているようである。たまに後ろを見、一般人に成り代わったその彼女を見、あわよくば手すら握ろうかと思いたくなる気分であった。 ようやく人の列が終わった。彼女を置いていった浪人生はまだ見つからない。 「一体どこに行ったって言うのよ」 彼女が怒るのも無理はない。人の波にすっかりうんざりしていた。 「きっとその辺にいるはずさ」 そういうと私たちは辺りを仕切りに見回した。いない、いない、いた。 浪人生は一人、お参りをしていた。 彼女は急いで向かった。私はそこに立ちすくした。 数年前の私をそこに見た。私もあるいはあんな感じだったかもしれないと思うと胸がつまり、また、変な気分になった。ただ、祈る。何と言うわけでもなく祈る。全ては、彼に対しての一切の罵倒は、違った。彼を少なからず否定していた自分の気持ちは間違いであった。哀れみも失礼ながら多少あった。浪人生、というただその言葉でしか彼を見ないでいた自分を悔いた。身分の違いに私は優越感を感じていた。だが違った。私も昔はあなたと一緒であった。 「おみくじ引こうよ」 冷静を取り戻した社会人は笑顔で私に言ってきた。私や彼女は別に吉だろうが何でも良い。主人公が問題。 「あ」 佐伯君はおみくじを見て驚いた。ただほのかに笑顔も混じっていた。 センター試験本番。国公立を目指す佐伯君にとってまずはこのセンターをしっかり乗り切らないといけない。センターである程度点数を取らなければ受けたくても受けれなくなるからだ。 「結局あのおみくじ、なんて書いてあったの?」 「分からない。彼、すぐに結んだから見れなくて。教えてもくれないし」 大方あの笑顔で予想はついたが、真実は分からない。凶で笑ったか、大吉で笑ったか。 試験前日浪人生に内緒である話をしていた。 「実は見に行こうと思って」 「何を?」 「彼よ、出来ることなら一緒に行ってやりたいとすら思うんだけど」 「それはまずい。当日その日会うのは精神がやられるよ」 「やっぱり・・」 しかし確かに興味はあった。その矛先は決して褒められたものではなかったが確かに興味はある。そうしてそれは彼には見つかってはならない。いらぬ心配をかけてしまうことはひどく受験生を狼狽させる。私はそれを自分の経験の中で知っていた。 センター試験一日目。冬の寒さはいよいよをもって、雪が少しちらついていた。彼は福岡のある大学で受験することが可能になったから、私は朝早く念入りに準備して家を出た。その大学からは少し距離があったので私は自転車を飛ばした。雪で地面が少し危なっかしく、途中電車に変えようかとも思ったがやめた。はち合わせは避けなければならない。それでもし彼に会おうものならいけない。私は慎重に辺りを何度も見回しながら進んだ。途中彼を思い、スランプは克服出来たのか案じ、自分の身に投じ、自分も試験のときどういった風だったかを冷静に考え始めた。平日であったから彼女はもしかすると来れていないのかもしれない。けれどそんなことはあまり関係なかった。 試験会場の大学に着いた。私は遠目に自転車を置いて、少し身を隠そうと裏道から入った。あまり人混みの中にいっては気づかれる危険性があると悟り、慎重に慎重を重ねた。それでもちらほらと受験生達が見える。行く先に小さい公園のようなものを発見し私はそこに身を隠した。周りは受験生。私は部外者。ベンチに座ると前には大学が一望できた。そこまで目立つ場所でもないから安心し、何気ないふりをして、彼を探した。 そこから周りの意気揚々としている受験生を見て、私は怒りを感じた。 ふと湧き起こった怒りだった。 私が、そうして受験生だったときこんな風な場所で受験し、ほとんどと言って良いほどの学校に落ちた。何も落ちたことに怒っているのではない。落ちてひどい形相で世間を見始めた自分に対して来たあの想い、に対してである。言いようのないものであった。それまで見せていた世間は私には怒りをもってしか見えなくなり、目を大きく大きく細め、今すぐにでも殺人者になりえるかのような顔をしていた。あの怒りはすさまじい。 「自分に来る腹立たしさ、憤り、ただ全ては私に所存」 浪人を二年経験し、それでも落ち、私は絶望を見た。もう終わったのだと強く感じた。もう一切の勉強道具など捨て去り、自信も何もかも、全てを焼き尽くしてやりたい気分だった。怒りの感情はしかしいけない。どうしてもそこで生まれるものは何もない。無惨な涙。異常に泣いた。泣いても泣いても涙はおさまらない。怒った。もっともっと勉強しておけばよかった、その全ての浪人生活をひどく悔やんだ。だが、時間は戻ってはくれない。 目を閉じて考える。ひどい時期だった。本当に何もかもが黒く見えた。人生の底を肌で感じ、もう私には持っていた自信というものは蘇らないのだろうと思った。今、目の前には受験生がいる。あちらは全然私などには気づいてもおらず、私自身気づいてほしいなどと少しも思っていないのであるが、その憤りはどうしても止まなかった。 遠くからは何やら応援団のような人たちの罵声が聞こえる。ここに来ているのは何も受験生だけではない。予備校の先生、担任、保護者、応援団、そして私のような部外者、様々だ。時間は九時前。もうすぐ最初の試験が始まろうとしている。私は少し我に返った。彼を、浪人生を、佐伯君を探した。何もあてはない、どこの教室だとか、何も聞いていなかったから、ましてや自分のいる位置が悪かったから、会うものも会えない。ただ近づくことも何か違うと感じた。私はベンチから立ち上がり、どうするでもなくただうろうろしていた。最初の試験は始まった。 偶然は必然を要する。そうして偶然を要してあわよくば佐伯君を見れたら幸いと思っていた。だが人があまりにも多い。最初の試験が始まり、人は一気に教室に入り静かになった。私はメールをした。 「佐伯君どこの教室にいるか分かる?」 途方もないメールであった。相手の方もさぞかし気分が悪かったではあるまいか。 「彼?全然知らないよ。っていうかカズ君、大学にいるの?」 やはり幾分気分を害したようだ。 「うん、つい。そっちは来てないよね?」 「朝だけ行こうとは思ったけど、仕事があったから」 携帯を閉じた。どうもここにいると害されてしまう気持ちになってきた。必然のこと。そうなることは分かっていた、哀愁の気持ち云々、悲しみや憎しみやそうして怒りが湧き上がるのは半ば当然のことであった。けれど行かないと気が済まなかった。 最初の試験が終わった。ぞろぞろと受験生達が外に出てくる。その光景を見、どうしても抑えられない感情。受験生と私。大きな差、そこに入ろうとしても決して入り込めない。そしてそのうちの何割かはあるいは私のような気分に埋もれるのでは、そう思うと悲しくなった。懐かしさはあまりなく、そこには帰りたくないと思っていたからで、そうして私は少しして大学を後にした。 佐伯君には心配をかけずに済んだ。相当に目を凝らしていたからあるいは、彼がこちらに気づいたということはないだろうという自信があった。その日は久しぶりにまずい酒を飲んだ。飲んでも飲んでもちっとも気分は良くならなかった。これでもし佐伯君に会っていたら自分の中の羞恥心やら何やらは収まったかは定かではない。ただどうしても一度は行くべきだったのであろう。行って何かを思わなければならなかったのだろう。 センター試験は二日に別れていて程なく終わった。新聞でその問題を確認し、自分が受けたときよりだいぶ変わったのかな、と感じた。ただそこに書かれた問題はだいぶ忘れていたとはいえ簡単に思えた。センターが終わると自己採点というものがある。自分が答えた箇所をあらかじめ問題に残しておいて自分で採点するという作業。これがなかなか億劫で私は浪人のとき、センターは腕試しくらいにしか思っていなかったが、それでも緊張した。試験後皆で集まって自己採点する機会すら設けられる。皆悲喜交々。新参者はまだいい。出来た出来なかったと一喜一憂すればいいがベテランはそうはいかない。いくらセンターが最初の関門でしかないとはいえここを通過しなければ始まるものも始まらない。私はそわそわしていた。 「何か聞いた?」 「聞けやしないわ。自己採点とはいえほぼそこで分かってしまうもの」 佐伯君は春先ひどく好調だった。そのとき受けても通るくらいであった。梅雨を過ぎ、夏を過ぎ秋に差し掛かった辺りから少し歯車は狂った。その微調整は果たして本番までに間に合ったのであろうか。彼のことを思うと夜も少し眠れなくなった。 我慢を解いた。今日くらいはよかろうと思った。私は佐伯君を家に呼び出した。彼が家に入ってからあまり顔は見ないようにしていた。私は話がある、とだけ言って深夜呼び出した。彼は連日の受験勉強で相変わらず疲れ切っていたかのように、小さなため息をもらしていた。話を切り出す前に彼は私の煙草に手を伸ばした。 「一本いいか?」 「佐伯君吸うんだっけ?」 「いや吸わない。前に少し吸っていたけど」 白い煙は大きな輪を作り天井のほうへ行っては消えた。 「煙草は記憶力なくなるからね」 「たまにはいいじゃないか」 コタツに入り、彼をゆっくりと見つめた。どうだったんだ、ただそれだけが気になる。私が間合いを気にしているのを彼には手に取るように分かっていたようで、 「カズ、お前の聞きたいことは分かっている」 灰皿に吸いかけの煙草をぎゅっぎゅっと押し込んで言った。 「ああ、それで・・」 「答えはこれだ」 彼は私の前にある小さな紙を出した。それはどこかで見覚えがあった。 「これ、結んできたんじゃなかったの?」 「いや、思い直して持ってきた。罰当たりかもしれないけど」 正月に行ったおみくじだった。そこには大吉と書いてあった。 「えっ・・じゃ、じゃあ」 「ああ、ひとまずは安心だ」 鳥肌が立つのを身に覚えるほど嬉しくなった。私は彼の肩を叩いた。 「やったじゃん!本当、本当だろうな?」 「落ち着けって。まだセンターだし」 「それでもここを乗り越えるのもなかなか出来ることじゃないよ」 「まあ確かに。前はこの時点で駄目なときもあったしな、ひとまず安心だ」 全くの油断は禁物であった。全てを笑うのは終わってからでいい。そうして彼は必死に闘う受験生。一つ一つを乗り越えなければ明日が見えない浪人生。佐伯君はもう一本、と言って煙草を吸っていた。構わない、今日くらいは何しようが構わない。ただ明日から彼はまた戦場に戻る。国公立の場合次なる相手は二次試験。浪人プロ、ベテランに言わせればこの二次試験が厄介で、大問一つ解けるか解けないかでその後の道が別れてくる。私は二次試験というものを体感したことがなかったからいかほどのものか定かではなかったが、強敵であるということは常々聞いていた。センターを終え、少しホッとしてまた息を整える。佐伯君を格好良く感じた。歴戦の中を闘ってきた戦士のようにすら感じた。 私は二年で浪人生活を終えた。彼から言わせればたった二年での挫折。そうして私は彼を見ているうちに自分がまだまだであったかと問い、どうやらこの歴戦の戦士からすればまだまだであったらしい。彼の右手の甲の部分に黒いものを見た。恐らく文字を書きすぎて黒くなったのであろうそのものは私を奮い立たせた。ああいけない、もっともっと変わらなければ、頑張らなければと思った。 頭の中は佐伯君一色の状態から少しずつ脱皮し始めていた。始めはそうも思えなかった。だんだんと気に掛ける内に思いが強くなっていった。そしてそのピークを越え自分に置き換え始め、私は、私は、と思い始めた。学んだことはまんざらではなかった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.04.10 06:32:08
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