カテゴリ:小説
こんばんは!今日明日明後日、更新し続けます、見てくださいね^^
久し振りに文を載せたくなったなったので載せます。 これは確か6月に書いたやつです。 自分は小説を書く気はなくて気がついたら小説になってたってのが結構多いです。 要は自分の中の解決策のうちに文が出来上がるわけです(意味不明)。 ではどうぞ。 浮浪者の話です。 ニヒルな人々 一種の異様な一体感が辺りを包んでいた。その光景を見たとき、ああこれが本当の「開いた口が塞がらない」という現象なのだなと悟った。都会の公園。昼間。そうして作り出す輪は世代を越え、見る人を圧倒し離さない。 「すいません、これは何の騒ぎですか」 「さあな。だが何だかおもしろくて、そしてよく分からないんだ」 人だかりが出来ていてそのうちの一人に聞いてみたがおおよその答えしか返ってこない。公園に行こうと思った。少し気分転換に外で本でも読もうと思った。5月の気温は充分に夏、と遜色ない暑さを都会人に染み込ませ、けだるさから何やらで、ああ今年もこんな季節が来てしまったのだな、と感じた。始めその公園で起こっている出来事がこの暑さから来た変な集団の気違いの何かだと思っていた。 太鼓の音がする。威勢のいい掛け声がする。これが本当に今流行りの気違いか何かがしでかしたものだとするとえらく大がかりである。ただ私がそうして気違いなどと形容するのには理由がある、第一に身だしなみが皆変。浮浪者、この言葉があるいは適当かもしれない、十数人で作り上げるものを、そうして皆がお世辞にも綺麗とは言えない服装で、一気盛んに手をとり、手を離し、太鼓を叩く者、掛け声を掛ける者、けれど彼らのあまりの一体感が周りにいた人々の足を止める。彼らは踊っていた。盆踊り、そう形容するのがどうやら容易い。 「我らは~浮浪者~今日も行くあてもない旅をする~」 盆踊りには歌詞があった。耳をすませば少しずつ聞こえてきて、周りはどっと笑い出す。犬の散歩をしていた老夫婦、公園で遊んでいた子供、近くを通った大人、その他様々な人が公園を取り囲んで、そうして浮浪者の盆踊りを眺めている。一様に見るその笑顔からはどこか安堵が伺えた。私はいろんな角度からそれを眺めていた。 「今日も明日も変わらない~それが宿命~それが浮浪者~他の人とさして変わらぬ~」 一瞬空気が止まった。そしてすぐに大きな歓声が上がる。目の前に展開している盆踊りを盆踊りとして捉えるのは結構、これがもし警察沙汰になればそれは問題なのかもしれないが、きっと警察も金縛りに近い心境になるであろうとすぐに思えた。ここにいる人々も皆本当は浮浪者、ただ地位やら世間体やらで塗り固められているだけでそれ以外は何ら変わらず、精一杯の浮浪者。そう思うと、そう思えてくると、何だかよく分からず笑えてきて鳴り出す手拍子自然に、そうして絶え間なく、応援、今日が今日でしかない日常だけれどならばその今日を今日として捉えて感じて、気持ちを一つに盆踊りはやぁやぁと。 悔しかった。途中からしか見ていないのが悔しい終わりであった。 「明日は明日の風が吹く~浮浪者音頭~これにて終了~」 太鼓の音が静まり、掛け声も止まる。踊っていた浮浪者も一応のポーズをとり、終えた。拍手は鳴りやまず、見ている人は始めから立っているのであるが、ミュージカルか何かのようにいつまでも鳴りやまず。その歓声を背に浮浪者は思い思いの場所へと戻る。あるものはそこの公園のベンチに座り、あるものはリヤカーを引いてどこかに歩き出す。その解散していく手際の良さに妙に関心した。しばらくすると周りにいた人々も日常を思い出し普通の生活に返っていく。私はしばらくその様子をじっと見つめていた。 世の中は所詮皆浮浪者。もし自分がこのままおいそれと年をとっていったらあるいは本当に浮浪者になるかもしれない。住んでいるところだって本当はただの仮の住まいで地位だってうわべだけで、苦し紛れに出た結論かもしれない。盆踊りを見た。浮浪者のその踊りは見るものを魅了し、人生の底辺を感じた。本当にそこは底かもしれないけれどそこが底として感じ、今という世の中、世界から見れば随分裕福な日本、確かめ合う絆もまばらなら、この浮浪者達のほうがよほどいきいきしていて、何だか自分が情けなく感じた。立場は必然と逆転した。 公園は繁華街から少し離れたところにあった。とはいえ公園の周りは道路が走り住宅街が周りを包み、その真ん中に位置していた。程々の大きさの公園には新緑が茂り始め、滑り台や一応の遊具は設置されていた。私はそこには目が行かず、大きな木で覆われたいくつかのベンチに目がいった。太陽が暑い昼間を過ごすには充分な日陰のあるそのベンチに私は座っていた。盆踊りが終わり、元の公園の姿に戻り、炎天下を防ごうと日陰にいようとする人は何も自分だけでなかった。サラリーマン風な人、お年寄り、子供連れの主婦、思い思いに過ごしていた。浮浪者らしき人が一人、彼は太陽を全面に受ける場所にいた。 私は持ってきた本を出さず遠目からじっとこの浮浪者を見ていた。そうして誰かを見ているという仕草を何だか情けなく感じる最近の自分であったが、そうはいかない、この人を今見ておかないと何だか後で大変なことになるような気さえした。一踊りした浮浪者はそれにこびることなく入念に座りながらストレッチをしている。そのとき、言い切れない違和感を感じた。木が風に吹かれざわめく。 「何をするのだろう」 「分からない、どこかに行くのだろうか」 猫の目。光に溢れたその視線が何も自分だけでないことが分かった。公園にいた数人が皆見ている。ニヒルな人を見ている。浮浪者を見つめている。 「あの人は浮浪者、と呼ばれる人なのだろうか」 「形容すればそうなる。見ろ、実に見窄らしい格好をしている」 「ああ、あれを浮浪者と呼ばずに何と呼ぶ」 近くに若者が二人、浮浪者談義をしていた。君たちのほうがよっぽど浮浪者であろうと言ってやりたかったがそれも出来ず猫のようにその様子を何も言わず見ていた。今に、今にまた先程の軽快な踊りが始まればニヒルは伝染し、あるいは始めから根付いた自分の中の革命のうちに私たちはそうしてニヒルな人々へと変貌出来るであろう、という強い確信があった。始まることはない、そうでないのに他人にしか期待できない、ヒーローを期待する姿勢、自分は何もしないからあなたが頑張ればいいでしょう、という悲しみの受け身をどうやら私は今日も繰り返す。つくづくこんな時自分が嫌になる。ヒーローは痒そうに頭をかいている。こんな人が、虚無(ニヒル)の人がヒーローだと思うなんてどうやら自分も馬鹿げている。ニヒルがニヒルを呼び、薄汚れた社会の中に降り立つは、やはりニヒルな人々なのかもしれない。そして浮浪者をニヒルと安易に呼ぶのも違うのかもしれない。 自分は社会に出ていて、人生のいわば下地の部分を這っていた。ここがスタート、今に大きくなっていくらでも地位を手に入れて、暴走する妄想を止められず気づいたら朝、そうして私はあの公園のほうを意識して歩くようになり、出勤のコースはおのずと斜めになっていき、もしかすると今日はいるかもしれないとあの浮浪者を探す毎日。自分はみっともない存在だった。自分を救ってくれるのは肥大する想像の世界の中だけで後は日々の現実が待っていて後はいくらでも自分が駄目になる要素があって、そうして自分を下に思うほうが楽だという悲しいまでの生き方を手に入れて、そして浮浪者の待つあの公園へ。それは必然の流れ。一日、一日、と過ぎていく日常にお別れをして決してもう取り返せないという決意のもとに真剣に生きようと試みても、なかなか自分の思うようにはいかず、作られた架空の世界、虚無の世界だけが何だか救ってくれるようで、その繰り返しをずっとずっとこれからもあるいは続けていくのかと思うと眩暈や吐き気云々、悲しさは悲しさを呼び、生きる心地を失った鳥のよう、でした。そう、でした、そうなの、でした。 いらだちや苦しさから解放してくれるのは、あの自分が作った世界だけ、ニヒルな世界だけ、とらわれるものがなにもなく、そうして人生の虚しさを意識して、世界に佇み、現実に戻り、浮浪者に会い、現実を拒み、ニヒル世界に入り込み、現実に戻り。そんなことを繰り返しているうちに見たあの盆踊り。意気揚々とただ自分達の世界を全うしている存在のようにしか思えなくなり、輝き、華麗なる無数に散らばる煌めきが心を襲い、見とれ、こうやって何も考えずに無能に踊れればどんなにか自分も楽であろうと安易に考え、そうでないでしょうということもすぐに察知し、そうなれば私は観察するほかない猫。ほんとうにそう、でした、そうなの、でした。 一仕事終えて今日も私はベンチに腰を降ろす。夕方仕事が終わると井の一番にその場を後にして公園のいつものベンチに着席。最初はすぐ飽きて1時間もいれなかった空間が、やがて心地良さが顔を出して、そこで早い夕食をとったりすることもしばしばで、そうして自分の気の済むまでこの場にいた。 「やあごきげんよう」 ここに来るのが習慣となって少しして友人を得た。 「はい、こんにちは。今日もやけに早いですね」 「今日も仕事を終えて井の一番に来ました。ここに来ないと落ち着かないでしょう」 「私なんかは昼の3時からいます。今日はまだおいででないようで」 相対する人は学生であった。自分よりも時間の拘束のない人で、地元の大学の院生であった。年も一緒くらいであったが我々は丁寧に包んでいた。名を須川といった。 「須川君は今日は何をしていたんです」 「なんというわけでもありません。いつもと何ら変わらないものです。あなたは充実していましたか」 「私はただ仕事をしてきただけです。須川君と何ら変わりません」 春の夕暮れは温かく、そうしていつまでもここにいれそうな陽気な心地。我々はヒーローを待っていた。何かすがるものがないと生きていけないというのなら、我々のすがるものは浮浪者であった。始め、そこまで意識しなかった須川という人物をどうやら自分と似た境遇のものであるという認識から我々は行動を共にするようになった。仲間意識とでも言おうか、テレビの前で悪者をやっつけるヒーローを応援する子供達のような、そんな仲間だった。何も言わないでも自分たちを繋ぎとめるものがあった。 「周期的に今日かと思ったのですが」 須川が首を傾げてそう呟く。 「何がです」 「あれですよ。我々を虜にした盆踊り」 盆踊りはその後も度々行われていた。その行事がいわばこの辺りの名物にすらなり始めていた。誰が合図するでもなかったが誰ともなしに公園へ集まっていた。あのときの陽気が我々を共感させ震えさせ人生に大きな活路を与えてくれそうなその踊りが今日、今日あるのではないかという期待から前に比べ公園に来る人の数は増えていた。私は三度見た。どのときも感動を覚えずにはいられなかったがやはり最初が鮮明に記憶に残っている。カップル、夫婦、子供、ああ、誰もがあの存在を、今という時の中で希望を見いだすヒーローの存在を待っているのだ。誰だって結局はそうなのだ、誰だってすがるものがないと生きては行けないのだ、これは悲しい報告、苦し紛れのドロップアウト。 「来た!」 須川が声をあげた。感傷に浸っていた私は我に返り須川が見る方向を振り返った。いる、確かに浮浪者と呼ぶにふさわしい厳しい目をした人がリヤカーを引いて現れた。公園内に緊張が走る。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.08.23 00:30:07
コメント(0) | コメントを書く
[小説] カテゴリの最新記事
|
|