カテゴリ:小説
「つきました」
そう言われ目の前に広がるはそびえ立つ大きな建物。そこには覚えがあった。 「私についてきてください」 そう言われるがまま、真治はあとを追った。嫌な予感だけがどうにも止まらなかった。ここは、こんなところが再会の場なのか、と現実が幻想だと思いたくなる場所だった。ずんずん歩く。歩くうちにどんどんと奥へ奥へと進んで行く妹さんの行く先に不安が徐々に重なり始め、嘘だと思いたくなった。その嘘はやがて深い眠りから覚めて、行々しい管理のされている場所へと進めた。集中治療室、とその場所は呼ばれていた。 「おねえちゃん、聞こえる?ほら、真治君よ、真治君が来たわよ」 再会はあまりにも変わり果てた姿になったものになった。 声が出ない。声がどうしても出なかった。今目の前にいる人は、この人に再び会ったら死のうと考えた人。けれど、その悲しいまでの再会に自分は死を恐れた。 「後藤、さん?」 声は震えていた。周りを見ればそういう人がいて、看護師やら医者やらが駆け巡っている。重々しい格好をした自分と妹さんは白く包まれていた。念入りに手を洗い手袋をはめ、衛生的に問題のない服装をさせられて入らなければならないところに彼女はいた。 「真治、くん?」 「そう、真治君だよ。ほら、お姉ちゃん、会いたがってたでしょう?」 6年ぶりの再会。彼女は真治のほうをぎょっと睨んだ。その視線にしばしたじろいだ。 眠りの中にいた白雪姫はゆっくりと見開き、ただ見つめた。どうやらそこまで危険な状態でないらしい。 「うそ、本当に、あの、真治君?」 絞り出すように、 「そうだよ。久し振りだね」 「うん、ひさし、ぶり」 会話がどうしても見当たらなかった。それだけ彼女は変わり果てていた。 「び、びっくりした、でしょう?こんなになっちゃって」 「う、うん」 「悪い、病気にかかっちゃって、ね」 「うん」 「あれから、えっと、6年前、あれから、よ」 走馬灯。走馬灯のように過去が駆け巡った。あれから、脱走した彼女は病院にいた。自分の思い込みは全て外れた。もしかしたら自分のせいでいなくなったと思った日さえあった。そのどの思い込みも外れて、ある意味最悪な形であった。悔しさが出た。 「ちょっと、歩かない?」 「具合はいいの?お姉ちゃん」 「今日は、ね、何だか、いいの」 本当はあまりいけないらしい。しかし看護師の許可はすんなり下りた。それがまた妙に悲しかった。 「私はちょっと離れますからお二人でどうぞ」 妹さんは二人の空気を悟ったか、席を外した。ゆっくりと起こされ、ゆっくりと進む彼女の後ろをただゆっくりとついていった。 光が差し込んでいた。病院の中庭にはそうして自分たちの再会を祝福するかのように温かな光が差し込んでいた。そこのベンチにゆっくりと二人腰をおろした。 「ほんと、ひさしぶり、ね」 「うん」 「元気、してた?」 「うんまあ。今は大学に通ってるよ」 「ほんと?いいな、大学。私も、通いたかった、な」 語尾が一つずつ切れ切れに聞こえた。光に当たった彼女は先ほど見るより随分美しく感じた。ただ本当にあの頃のような絶対的な美しさではなく、はかなさの残る美しさ。白い服を着た彼女の体は細かった。もうどれくらいなのだろう、どれだけ危ないのだろう。ひとつひとつ浮かぶ疑問を口にすまいと必死だった。今はきれいな自分を取り繕うと決めた。 「いつになっても通えるさ、大学なんて」 「でも、私、もう、こんなんだから」 「どんな風になったって、また元気になればいけるさ、百合さん、頭良かったじゃん」 「あっ」 「えっ?」 「ううん、うれしい、名前、覚えててくれたんだ」 「当然じゃん。忘れるわけないよ」 「どうして?」 「どうしてってそりゃあ・・好きだったから」 「本当?」 「本当さ。今だに思うときもあるし」 「うれしい、な」 妙に照れくさくなった。 あれから、僕たちはそうして道という道を歩いてこれただろうか。本当にこれでよかったなんて通ってきた道をしばし振り返ってみてそれでも分かるものではない。正しい、正しくない、いい、悪い、この道、この道の果て、道程。 「将来・・」 「え」 「将来、何するの、真治君」 「まだ、うまく決められないんだ。ただ、絵を描きたいと思い始めた」 「すごい、ね。真治君、絵、うまかったもの」 「うん。ただ本当にその道で生きようとすればただうまいだけじゃいけない気がするんだ」 「本当、ね」 「百合さんは、何するの?」 「私?・・私、何、しよう、かな・・」 まずいことを聞いたと思った。濁した数々の質問のうちに聞くべきじゃないことを聞いた気がして相当にきまずくなった。 「まず、は、治さないと、ね」 「そうだね。応援するよ」 「本当?」 「本当さ。またお見舞いに来るよ」 「うれしい」 彼女は精一杯の涙を流し始めた。涙を一つ一つ拭く姿にこちらまで涙が出そうになった。会えてよかった。本当に、会えてよかった。会いたかったんだ。会いたい自分がいたんだ。そして会いたい人がいたんだ。彼女の涙は止まらなかった。 やがて面会の時間は終わりを迎えた。 病院の帰り際、ひとつひとつを確かめるように妹さんに質問した。 「百合さん、危険なの?」 「分からないんです。ただ、一時期よりは良くなったのは確か。今日なんかすごくいいほうだと思います。あんなお姉ちゃん、ほんと久し振り見ましたから」 「そっか。また、行ってもいいよね?」 「それはもう。きっとお姉ちゃんも喜びます」 「本当に?」 「何度も、何度も、あなたの名前を呼んでいましたから」 確信をみた。もしかすると、いや、本当に。 「うん分かった」 帰ってからしばらく呆然としていた。そして、ひとつのことを思っていた。キャンパス。目の前に広がる景色だったり人だったりを映し描いてきた今までの自分にこのキャンパスに今は何だか違う何かが描けそうな気がしてならなかった。呆然としていた。密度の濃い一日だった。いつだって毎日がいい日はない。何もない日もある。その中で今日という日は本当に収穫だった。彼女に会った。思いつめていた彼女に、ついに、会った。そして現実は彼女を自分を切り裂いた。あまりにも惨めになった彼女を前に自分は何がしてやれただろうか、そういろんなものを思い考えていると描かずにはおれなかった。その日夜も気にせずただひたすらに描きなぐった。 「それは何ですか?」 「内緒。妹さんこそ何を持っているの?」 「妹さんだなんてよしてください。有希です」 「有希さんね、分かった。有希さんこそ丁寧語やめたら?」 あれから、久しぶりの再会以来のお見舞い。たくさんの話とたくさんの思いをリュックにのせて。 「まあ、お姉ちゃん」 集中治療室に入るなり有希さんは驚いた。どこかこの前と趣きが違う。 「ああ、ね。今日は、ちゃんとしておこうと、思って」 化粧されていた顔を少し赤らめる彼女に、本当にこの人は病気なのだろうかと疑いたくなるほどだった。病気なんてなくなればいいとさえ思った。 「気合入ってるね。これ、いつも言われてるやつ」 「ありがとう」 差し出す本はやけに分厚く、「小説魂」と書かれていた。 「それは?」 「ああ、これ。お姉ちゃん、小説書いてるの。それでよく投稿してて。どう今回は?」 ゆっくりとページをめくる。その表情に見覚えがあった。 「ううん、今回も、ないみたい。だめね、私って、才能ないのかし、ら」 「そんなことないよお姉ちゃん。きっと見る人が見たらいいに決まってる。私は少なくともすごいって思うもの。真治さんだってきっとそう思うはずだわ」 「だと、いいけど」 そう言うと女の顔をして真治のほうを見つめた。背筋がしゃんと通るのを覚えた。 「読むよ、読ませてよ。百合さん、やっぱり頭がいいんだね」 「今は、これくらいしか、することないから」 気持ちが晴れ晴れした心地になった。こうしてついさっきまで考えていた自分の価値観という価値観を思いっきり変えさせられてくれた存在。悪いもの、絶望ですもの、そんな悪のヒーローごっこを繰り広げてどうやら生きてきたらしい自分が馬鹿らしく、再開された時間にときめきの色を付け加えて。 しばらくの談笑が続いた。そのうちにあるものが目にいったらしい。 「それ、は?」 真治が持ってきたリュックだった。 「ああ、これ?ううん、なんでもないんだ」 「なんでもないってことはないでしょう、真治さん」 「いや本当に、何でもないんだ。ただ描いただけなんだ」 「描いたって、なに、を?」 「ううん、今はいいんだ。自分が帰ってから見てほしいんだ。ほら、恥ずかしいし」 「さしずめ見当はつくけど」 「勘弁してよ有希さん」 大きな高笑いが部屋に響いた。そんな談笑に周りも自然と笑みがこぼれていた。今が止まればいい、彼女はこんな風になってしまったけれど、こんなに正面から一緒に笑いあえている。こんなに素直に自分を出せるなんてとうとう思い描けなかった。本当にあなたには、会えないと思っていました、この覚悟を胸に、悲愴のうちに、そうして年老いて、幻想のうちに、春の風に吹かれて。止まってほしいこの時間、このとき。死を彼女が食い止めた。夜になって病室で、あふれんばかりの涙が彼女から流れた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.04.13 13:03:11
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