鎌倉七福神めぐり・その2・鶴岡八幡宮
鶴岡八幡宮・弁天様
弁天様(芸の神、財運を招く神様)
鶴岡八幡宮
鶴岡八幡宮は、
京都の石清水八幡宮を厚く信仰していた源頼義が前九年の役で奥州の安部氏を平定した後、
康平6年(1063)8月、京の石清水八幡宮を鎌倉由比ガ浜郷に勧請し社殿を創建した。
その後、治承4年(1180),源頼朝が鎌倉入りするや由比ガ浜の八幡宮(元八幡)を,
この地小林郷に移した。
建久2年(1191)には武士の守護神の宗社に相応しく上下両宮の現在の姿に整えた。
源頼朝が,この高台に社殿を作った時は、既に平家は滅亡し、
奥州・藤原氏も討伐し,全国60余州を平定した時であった。
翌年には、征夷大将軍になり、まさに頼朝の絶頂期であった。
鎌倉はこの頃は既に、
京都と並んで政治文化の中心となっており頼朝は関東の総鎮守となって崇敬されていた。
以来、鶴岡八幡宮は常に鎌倉のシンボルであり、
幕府の儀式や行事はすべてここを中心に行われた。
また武門のシンボルとしても豊臣、徳川家から手厚い信仰を受けていた。
例年4月第三日曜と9月16日に行われる流鏑馬は、
鎌倉武士の気概を伝えてくれる。
狩装束の射手が一直線に馬を走らせながら鏑矢で3つの板の的を射る流鏑馬神事は、
豪快さと繊細さを求められる騎乗の妙技である。平安後期から鎌倉時代に、
笠懸、犬追物とともに「騎射三物」の一つとして武芸鍛錬のため隆盛した。
今では全国各地で行われている行事だが、鶴岡八幡宮のそれは、
武士の旧都で行われるだけにとりわけ迫力がある。