微笑む羅漢様 古都の晩秋・紅葉めぐり3
1日目の午後は嵯峨野散策。奥嵯峨まで走り車を捨てて歩こうという計画です。かすかに右足裏に違和感があるものの、持ち前の荒っぽさでGO,GO!清滝トンネルの手前、嵯峨鳥居本にある愛宕念仏寺。「千二百羅漢の寺」として知られています。近くにある愛宕山は「あたご」と読みますが、この寺は「おたぎ」と読みます。歴史的な謂れがあるそうですが、よほど教養がないと読めないですね。私はずっと「あたご」と読んでいました。8世紀中ごろ東山あたりに創建されましたが興廃を繰り返します。1922年(大正11年)辛うじて残っていた本堂、仁王門、地蔵堂を現在の地に移築しますが、復興できないまま30年、またしても荒れ果ててしまいます。1955年になってやっと再興事業が本格化したという数奇な運命をたどった寺院です。境内に居並ぶ羅漢像は素人が彫って奉納したもの。1981年から「昭和の羅漢彫り」運動がスタートし、約10年後には1200体に達しました。境内が北ないし東向き斜面に広がっているためでしょうか、苔むした羅漢像が多く、実際よりも古い時代の作ではないかと錯覚を起させます。羅漢さんは、素人が彫ったとは思えない豊かな表情を持ち、訪れる者を迎えてくれます。厳しい顔、笑顔、すまし顔…1200の異なった顔が癒しを与えてくれるようです。さまざまな表情の石仏たち「素人が石に彫れるものなの?」母ちゃんの質問です。面倒くさがらずに答えるのが私です。「道具さえあったら素人でも彫れるがな。鑿とハンマーがメインやけど、大工さんの使う鑿とは刃の硬さとか形が違うねん。僕がやってる篆刻も石に彫ってるやで」「そうか、でもみんなよくやったよね」「風化の仕方とか欠け方みると彫りやすい石使うてるみたいやから、頑張れたんやろなぁ」「みんなデザインにも凝ってるし、やっぱすごいよ」寺から嵯峨野方面に下ると、地元愛宕神社の大鳥居が目に入ります。「鳥居の下にあるから鳥居本と言うのかな」と誰でも思うでしょうが、実はそうではなくて、京都の夏の風物詩「五山送り火(大文字・妙法・舟形・左大文字・鳥居形)」に由来します。当地の曼荼羅山で燃え上がる鳥居形。そのふもとにある集落だから鳥居本と命名されたのです。古くは京都の人々の埋葬地で「化野(あだしの)」と呼ばれ、石仏で有名な化野念仏寺はこの地域の中心でした。愛宕神社の門前町として賑わうようになり、化野念仏寺より上は茅葺の農家、寺より下の地域は瓦葺の町屋風民家が並ぶ今の町並みが出来上がりました。鳥居の下に並ぶ茅葺の民家はいずれも割烹旅館。その茅葺屋根にかかる紅葉はいにしえの風情を醸しています。写真愛好家なら見逃せない撮影スポットです。私たちが訪問した時には、サクラ紅葉は完全に終了しカエデもまばらでした。苔に覆われた北向きの茅葺屋根に落ちたカエデが発芽し、小さいながら葉を赤く染めているのが健気で愛らしく、思わずシャッターを切りました。化野念仏寺への階段を登りはじめたところで、母ちゃんからSTOPがかかります。「どないしたん? 膝か腰か?」「ちがうよ、なんだか怖い」以前この寺を訪れたときから「あそこは怖いからイヤだ」と言っていたのを思い出しました。母ちゃんの霊感が強い訳はなく、単に臆病者なんでしょうが、無理に行く必要のないので今回はパス。保存された町並みにある民芸店などを覗きながら、祇王寺に立ち寄ります。寺と言うより庵と言った方がふさわしい佇まいが、平家物語の悲恋に似つかわしく感じられます。祇王寺柴門を彩る紅葉平清盛の寵愛を失った祇王が娘・祇女と母刀自とともに移り住んだ庵で、のちに寵愛を競った仏御前も世の無常を悟りこの寺で尼になりました。こちらの紅葉は、通常なら12月初旬が見頃なのですが今年はすでに散紅葉。庭一面を覆う紅葉がお堂を染め上げています。平日なので観光客は多くなく、ひっそりと仏に仕える四人の女性に思いを馳せることができました。散紅葉に染まる祇王寺の庵「俳句カルタに出てきた向井去来の庵が落柿舎だ」とか「山椒ちりめんはどこが一番おいしいか」とか「やっぱ京都は平日だね~」とか、はては「京都のタクシーはクラクション鳴らし過ぎだ」とか、たわいもない話をしながら、ブラブラと嵯峨野を歩きます。母ちゃんが一番気に入っている紅葉名所、宝篋院(ほうきょういん)に到着。三脚・一脚を持ち込むことさえ禁止されているほどカメラマンに人気のあるこの寺も今日は意外と空いています。記念撮影の顔まで赤く写るほど見事な紅葉。カエデとドウダンツツジが燃え立つ赤を競っています。散紅葉を敷き詰めたような庭園も圧巻。言葉で表現しようにも私の貧困な語彙では如何ともしがたい色彩です。隣りの清涼寺は、歴史上の有名人と所縁の深い大きい寺院で、国宝や重要文化財が目白押し。光源氏のモデルと言われる源融の別邸跡に立っており、豊臣秀頼首塚や聖徳太子殿(でん、と読んでくださいね。母ちゃんが「しょうとくたいしどの」と読んだので念のため)、徳川五代将軍・綱吉の生母である桂昌院ゆかりの品々など。庭園の紅葉はもうほとんど終わりかけていました。傅大士(ふだいし)像が鎮座する一切経蔵(輪蔵)の楓嵯峨野散策はここまでとして、愛宕念仏寺近くに停めてある車まで戻ります。日没が近づいているうえ、母ちゃんの膝や腰も心配なので、タクシーを利用しました。朝から相当の距離を歩いています。今夜の泊まりは烏丸御池のホテル。夕食は先斗町の料亭です。その前に京都駅前のバスターミナルで翌日の観光バスチケットを受け取り、レンタカーを返却します。急がなくては!2日目は毎年恒例の嵯峨野トロッコ列車と保津川下り。次回乞期待。