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2005年09月07日
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カテゴリ:読書
本覚坊遺文本覚坊遺文 井上靖著 講談社文庫 絶版
前回書いたように、久しぶり「凄み」の感じる本である。茶道が分かるとさらに深い理解ができるのだろうが、分からなくても、この小説の凄さは感じられると思う。

この小説の中では、利休は既に死んでいる。死んだ利休を思い、本覚坊という弟子が、時代の流れと利休縁の様々な茶人達との対話を通し、その死の理由を体感できる様になるまでじっくりと心象風景を描いてく。文章そのものが幽玄な雰囲気で、かつ「静謐」な空気が流れる。

「“無”と書いた軸を掛けても、何もなくなりません。“死”と書いた軸の場合は、何もかもなくなる。“無”ではなくならん。“死”ではなくなる!」

小説中で利休の弟子の一人である山上宗二と思われる人が叫ぶこの言葉こそ、利休が賜死を受け入れた理由ではないか、というのが筆者の見解である。
つまり利休の茶道に於いて「死」こそが究極の空間であり、すなわち日本人の感性では「無」という言葉が空間を意味し、そこに同化させることで己をも客観視する感覚というのは、あると思うのだが、利休にとっては「無」を通り越し、「死」ぬことが、侘茶の空間における完成した究極の美であるがゆえ、賜死を受け入れた、ということなのだろう。だからこそ、戦国時代、茶室は「死」への入り口ですらあり、戦いに向かう男達が利休の点てる茶で一服し、それから戦場へ出向き、死んでいった、ということか。

しかし、「死」の一字の書いた軸のある四畳半の茶室、というのも生半可な気持ちじゃ入れないよなあ・・・。茶道とは死を知る道「死道」なり、といったところか。何もかも削ぎ落とされ、最後に命だけが残り、その命をも削る瞬間に、究極の美の空間が生れる。その空間を味わえた瞬間に、本当の勝負に向かう心持ちができるのだろうか。さすがにそう簡単に味わえるものではないが、ライブの前の緊張感というか、今思えば、学生時代のヤマノのコンテストの前って、ものすごく「静謐」な感じが自分の中に流れていた気がする。もちろん、利休なんかの心持ちなどには及ぶものではないが、本来、勝負というのはそういうものに違いない。
何だかそう思うと、もうちょい真剣に生きにゃならん、と反省至極の今日この頃である。

にしても、茶道はきちんとやりたいのだが、どうもカルチャー教室のノリはさすがにこっぱずかしいし、ちゃんとしたところは金がかかりそうだし。誰か、安くて骨のある茶道を教えてくれる師匠様って、知らんかねえ。

次回の読書予告→また読み出した文庫版「ローマ人の物語(1)・(2)」塩野七生著 新潮文庫
これは、いまや文庫版18巻まで行ってる。ちなみにもってるのは同5巻まで。途中で飽きにゃきゃいいが・・。でも、面白い。年内読破が目標かな・・・。





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最終更新日  2005年09月14日 01時59分30秒
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