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カテゴリ:江戸の名残を、今に残す芸や、文学
実際に、現場に行ってみるのが一番というのが、
言い伝えというか、慣わしであるが、 『はやぶさ新八御用帳』二 江戸の海賊を、読んでいる途中で、 隼新八が、昨日の、船幽霊の海賊の手がかりを、探しに、 木場のあたりで、本所深川の船頭と、出会い、 昨日襲われた、現場まで、船を、頼むシーンを、読んで、 ふと『現場百遍』というのを、思い出しました。 どんなに、報告書や、写真、現代なら、ビデオみても、 現場に、行かなければ、本当のことはわからない、 最近、現場百遍を、おろそかにしてやいないだろうか。 テレビを、見たり、新聞や、本などを、読んだだけで、 わかったような気がするのは、あくまで、わかったような気がするだけで、 たとえ、そのときは、考えが、現場と、一致しても、 わかったようなだけでは、いつまでも、 危うい感を、免れない。 本を読んだだけで、聞いたようなことを言ったり、 ちょっとだけ、専門に学問をやったからって、 評論家を、名乗り、えらそうなことを言っても、 自分で、身銭を切って、レールの、徹さびを、舐め、 砕けた石を、ハンマーで、もう一度たたき、 それ以上に、入社11ヶ月目の、若者が、 どんなところで、自分を、おいていたか、 わからないんだろうな。 全然関係ないかもしれないが、 高校時代に、高ボウキと、ちりとりを、担いで、 やらされたなかに、自分では、 無為のことを、こつこつと、積み重ねることの、少しを、 覚えたでしょうか。 忘れちゃったなあ。 あの感じ 最近、頭でっかちになったような気がする。 本所深川、 そして、浅草といえば、 むかし、『橋つくし』というのが、三島の作品にあったようだ。 映画でも、『フーテンの寅』さんの、最初は、堤を、 向こうからあるって来る寅さんが、 ふらふらとちょっかい出すシーンで、始まったもので、 そんな、川筋を、見つけて、歩いてみたいが、 案外、東京でなくて、アジアの、 どこかに、そんなところが、あるようなないような。 バンコックの上空からの写真では、 今でも、運河が、東京よりずっと多い、 大正の終わりに、昭和のはじめに、 最初の地下鉄が走ってから、 ちっとも、日本の、鉄道って、 変わってないのかなあ。 それにしても、原則って、 一生もんだね。 こまめなバックアップこれを、忘れていたら、 突然、パソコンが、 リセットされて、 いままで、打ち込んだ、数時間分の、文章が飛んだ、 災難輪忘れ所にやってくる、のかな さあ、続きを読もう。 http://www.edagawakoichi.com/TOKYO/to-fukagawanohoriwari.html お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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