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BIZ粋 ★人生をイキイキと粋に★

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2009.01.02
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カテゴリ:老人のつぶやき
2008年末の12月31日にNHK教育で放送されていたTV番組
『あの人からのメッセージ2008』を観ました。
以前放送の再編集でしたが、初めて観ました。

2008年に106歳で亡くなった永平寺住職・宮崎奕保(みやざき えきほ)師の話から。



人間は、
名誉とか地位とか見栄とかわがままとか
そんなもんでいっぱいだ。
欲は克服するすべを覚えないといけない。
それが座禅だ。


お釈迦様の教えというものは、
天があり地があって、その恵みを受けて
人間がその正しい真(まこと)を実行していく
という大法則のもとに、
生かされておるということだ。
真は名前を変えたならば真理ということになる。



何にも考えない、妄想しないことだ。
いわゆる前後裁断だ。その時その時一息一息しかないんだ。
何か考えたらもうそれは、余分だ。
人間は、
名誉とか地位とか見栄とかわがままとか、
そんなもんでいっぱいだ。
やっぱり欲は克服するすべを覚えんといけない、それが坐禅だ。
息と一つになる。
欲の起こるすきがない。



坐禅ということは、まっすぐということだ。
まっすぐというのは、背骨をまっすぐ首筋をまっすぐ
右にも傾かない、左にも傾かない。
まっすぐということは、正直ということだ。



身心は、一如だから、
体をまっすぐにしたら心もまっすぐになっている。
人間はわがままが自由やと思っている。
ちゃんと型にはまったものが、平生底でなければならない。



11から坐禅している。
はじめは、嫌々ながらやっていた。
そんなことするよりほかにすることがあると思っていた。
坐禅するよりほかにすることがいくらでもあると思っていたのだ。

老僧の温かい死がいを見たときに「偉い人やったな」と思った。
わたくしのない生活をする、やっぱり日常の生活が手本だ。
老僧の口だけでない、実行で示した。それが元だ。
できたら老僧のような坊さんになりたい。
だから人間はまねをしないといけない。

学ぶということは、まねをするというところから出ている。
一日真似したら、一日の真似や。
それで済んでしまったら、二日真似して、
それであと真似せなんだらそれは二日のまね。
ところが一生まねしておったら、まねがほんまもんだ。



人間は、
いつ死んでもいい、と思うのが悟りだと思っていた。
ところがそれは間違いだった。
平気で生きておることが悟りだったと。
平気で生きていることは難しい。
死ぬときが来たら死んだらいいんだし、
平気で生きておれるときは、平気で生きておったらいいのだ。



自然は立派だね。
わたしは日記をつけているけれども
何月何日に花が咲いた、何月何日に虫が鳴いた、と
ほとんど違わない。
規則正しい、そういうのが法だ。
法にかなったのが大自然だ。
法にかなっている。


自然の法則をまねて人間が暮らす。
人間の欲望に従っては、迷いの世界だ。
真理を黙って実行するというのが大自然だ。
誰にほめられるということも思わないし、
これだけのことをしたらこれだけの報酬がもらえる、
ということもない。
時が来たならばちゃんと花が咲き、
そして黙って、ほめられてもほめられなくても、
すべきことをして 黙って去っていく。
そういうのが実行であり、教えであり、真理だ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

う~ん、深い。





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Last updated  2009.01.02 16:26:32
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