カテゴリ:老人のつぶやき
2008年末の12月31日にNHK教育で放送されていたTV番組
『あの人からのメッセージ2008』を観ました。 以前放送の再編集でしたが、初めて観ました。 2008年に106歳で亡くなった永平寺住職・宮崎奕保(みやざき えきほ)師の話から。 ● 人間は、 名誉とか地位とか見栄とかわがままとか そんなもんでいっぱいだ。 欲は克服するすべを覚えないといけない。 それが座禅だ。 ● お釈迦様の教えというものは、 天があり地があって、その恵みを受けて 人間がその正しい真(まこと)を実行していく という大法則のもとに、 生かされておるということだ。 真は名前を変えたならば真理ということになる。 ● 何にも考えない、妄想しないことだ。 いわゆる前後裁断だ。その時その時一息一息しかないんだ。 何か考えたらもうそれは、余分だ。 人間は、 名誉とか地位とか見栄とかわがままとか、 そんなもんでいっぱいだ。 やっぱり欲は克服するすべを覚えんといけない、それが坐禅だ。 息と一つになる。 欲の起こるすきがない。 ● 坐禅ということは、まっすぐということだ。 まっすぐというのは、背骨をまっすぐ首筋をまっすぐ 右にも傾かない、左にも傾かない。 まっすぐということは、正直ということだ。 ● 身心は、一如だから、 体をまっすぐにしたら心もまっすぐになっている。 人間はわがままが自由やと思っている。 ちゃんと型にはまったものが、平生底でなければならない。 ● 11から坐禅している。 はじめは、嫌々ながらやっていた。 そんなことするよりほかにすることがあると思っていた。 坐禅するよりほかにすることがいくらでもあると思っていたのだ。 老僧の温かい死がいを見たときに「偉い人やったな」と思った。 わたくしのない生活をする、やっぱり日常の生活が手本だ。 老僧の口だけでない、実行で示した。それが元だ。 できたら老僧のような坊さんになりたい。 だから人間はまねをしないといけない。 学ぶということは、まねをするというところから出ている。 一日真似したら、一日の真似や。 それで済んでしまったら、二日真似して、 それであと真似せなんだらそれは二日のまね。 ところが一生まねしておったら、まねがほんまもんだ。 ● 人間は、 いつ死んでもいい、と思うのが悟りだと思っていた。 ところがそれは間違いだった。 平気で生きておることが悟りだったと。 平気で生きていることは難しい。 死ぬときが来たら死んだらいいんだし、 平気で生きておれるときは、平気で生きておったらいいのだ。 ● 自然は立派だね。 わたしは日記をつけているけれども 何月何日に花が咲いた、何月何日に虫が鳴いた、と ほとんど違わない。 規則正しい、そういうのが法だ。 法にかなったのが大自然だ。 法にかなっている。 ● 自然の法則をまねて人間が暮らす。 人間の欲望に従っては、迷いの世界だ。 真理を黙って実行するというのが大自然だ。 誰にほめられるということも思わないし、 これだけのことをしたらこれだけの報酬がもらえる、 ということもない。 時が来たならばちゃんと花が咲き、 そして黙って、ほめられてもほめられなくても、 すべきことをして 黙って去っていく。 そういうのが実行であり、教えであり、真理だ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ う~ん、深い。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.01.02 16:26:32
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