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2010/1/5の日経新聞朝刊の経済教室コーナーの記事。
ところで、今年に入ってからの経済教室のページ面白い。 ゼミナールのコーナーは、分かりやすく解説されている。 今日の話は、さるかに合戦の話から市場を考えるという話。 人間の歴史は、 個人が狩りをして生活していたところから、 ご近所さんと仲間になって、集団になって狩りをした方が効率がいいことを知る。 そして、集団だの組織になって、その上に立つ人が出てくる。 これは、力が強いとか、頭がいいとか、声が大きいとかいろいろな要因から、 とにかくリーダーが出てきた。 そこから自分たちの獲物を確保するために、隣の村と取り合いになり、 狩りではなく、陣地の取り合いだったり人の殺し合いに発展する。 そうやって力の強いものが、「王」となる。 王は絶対的権力を持つが、それが世襲制という人民からすれば、 なんでやねん、ということになり、反乱やクーデターに発展して、 国家の王が変わったりする。 そんなことは、つい60年前まで行われていた、いや、現在でも行なわれている。 とは、いうものの、人間は理性の動物、殺し合いはいけない、となり、 工業化が進み、貨幣や株式や証券化が進み、物理的な力ではなく、 財力がものを言う時代に入った。そこで起こったのが、資本家と労働者の対立だ。 資本家は、労働者を奴隷のように扱い、やがて、労働組合のようなものができる。 しかしながら、労働組合は、平等を叫んだりして、はたまた、共産主義者が、 軍を率いたりして、ソビエトや中国ができた。 しかし、共産主義者といってもその上に立つ者はやはり、王のように独裁政治を ひき、民衆を酷使してきた。 そこで、民主主義だと自由経済だのになった。 それが、ここへ来て、合法的に主従関係の資本家と労働者の構図が生まれている。 私は、共産主義反対、なぜかというと、「人間は生まれながらにして平等はない」と 思っているからだ。「人間は生まれながらにして不平等を背負っている」。 生まれた環境、親は選べない。国も選べない。 あなたがもし、虐待をする親で、戦争の絶えない貧しくでテロが多発し民族同士で、 殺戮を続ける国に生まれたなら、希望も経済的発展も考えられないだろう。 そんなところに、平等などない。 しかし、人は、平等に1日24時間を有し、思考する動物だ。 そして、「公平」に生きている。 今の経済状況を見て、雇用に関しては、努力すればなんとでもなるだろう、 だから努力をする「方法」を身につけよ、と思う。 しかし、一所懸命働いても金融危機などで貧乏ということがあるなら、 それは、平等でも公平でもない。 しかし、それでも企業も人も生きていかなければならない。 企業は、従業員を切り捨てる、それを続けていたら、 王政の国で反乱が起きたように、いつか人は放っておかないだろう。 いつになっても、人は、繰り返しているのだ。 自由経済と共産主義の間にある、折衷経済は必要なんだと思う。 企業は、さるにならないように。 人々は、カニやら臼やら牛フンにならないようにしたいものだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.01.05 17:29:29
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